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部活動と勉強の両立④ ~指導者に課せられたもう一つの役割~ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

※部活動と勉強の両立③ ~スポーツの魅力~ の続き


部活動をやっていることを理由に、遅刻や欠席、宿題忘れ、授業中の居眠りが多い子がいた。一番問題だと思ったのは言い訳と言葉づかいと態度の悪さ。他の塾生に迷惑であることを意に介さない。他人に対する感謝の気持ちも感じられない。全て言い訳。

ただ、本当に練習が厳しいことも事実である。朝練があって放課後も練習。土日は練習か試合。その子自身が部活動のスケジュールを変えることはできないので、それに関しては如何ともできないことである。

その子も本当につらいのだ。少なくとも練習が厳しい部活動を継続できている子である。それ自体、素晴らしいことである。勉強もできない子ではない。積極的に取り組むと勉強でも結果を出せる子で、入塾時には「私も頑張れば成績が上がるかな」と前向きだった子で、本当は良い子なのだ。

スケジュール管理は顧問の先生の仕事である。休みもなく朝から晩まで生徒と付き合う先生もご苦労な事であり、私には到底できない。

だから私は何も言えない立場ではあるが、どうしてもその子を見ていると、部活動は何のためにやっているのか疑問に思ってしまう。うまくなること、勝つことが一番大切な事なの。その他のことはどうでもいいの?うまくなるため、勝つために頑張る事で得られる、心の成長が大切じゃないの?

でもその子とって、一生懸命に打ち込めることが部活動である。一生懸命になれることは大切な事である。きっとその子はやり遂げた時に色々な事に気づき、心の成長があると期待する。

続く

部活動と勉強の両立③ ~スポーツの魅力~ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

※部活動と勉強の両立② ~部活動の目的~ の続き


私はスポーツが好きだ。勝っても負けても、そこにはドラマがあるから学びもある。やっていても見ていても感動があるから学びもある。時にはスポーツは人生の縮図となる。スポーツは人生を教えてくれる。自分の生き方を見直すきっかけを与えてくれる。人の生き様を見せてくれるから、自分の生き様を客観的に見ることができる。スポーツは素晴らしい。

だから、スポーツの能力と実績に、人間的成長が伴ってこそスポーツをやることの意義があると思う。勝つために何をやってもいいとか、強ければ何でも許されるでは、スポーツ本来の目的が何なのかわからない。ドーピング、覚せい剤、賭博はもちろん論外。その他、人としての基本的な行動ができない者がスポーツ(部活動)をやる意義があるのだろうかと思う。

特に中高生が部活動をやるためには、勉強との両立、家族の協力が不可欠だと思う。そして、そこでまず、礼儀とけじめを学ぶ。礼儀やけじめとはチームメイトとの協調性、監督やコーチ、家族への感謝の気持ちを持つこと。「こんにちは」、「よろしくお願いします」、「申し訳ありません」、「ありがとうございました」である。

又、向上するためには、うそと言い訳は絶対にダメ。伸びる者も伸びなくなる。普段の生活から改善していくことだ。

だから、部活動ではそこを学んで欲しい。それは、今後の人生の全てに繋がっていくのだ。

部活動はいつしか引退の時が来る。もちろんプロスポーツ選手として継続もできるだろうが、それもいつかは引退する。しかし人生は継続するのだ。部活動は人生を全うするための糧であり人格形成の1つの手段でもある。そこには心の成長が必要だと思う。

続く


部活動と勉強の両立② ~部活動の目的~ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

※部活動と勉強の両立① ~私と部活動~ の続き


部活動(ここでは運動部に焦点を当てる)は何のためにあるのだろうか、何のために入部するのだろうか、何のために一生懸命やるのだろうか。

川崎市内で学習塾勤めをしていた時、某中学校の先生から「放課後野放しにしていると、何をするかわからないから」と言っているのを聞いたことがある。長い時間学校の管理下に置くことで、問題が起きるのを防ぐために「全員部活動に入れ」と言うことである。そんな事をしても、生徒が問題行動を起こすことに対しての根本的な解決にはならないと思った。
そんな中で塾生がある問題を起こした。私はその中学校に行き、先生の話を聞いたことがある。「かなり強く叱っておいたので、しばらくは大丈夫でしょう」と担任の先生(?)がジャージ姿で約束の時間にかなり遅れ現れて私にそう言った。“何か違う”と心の中で思った。

以前、某中学校の某部が都大会に出場。ところが1回戦が優勝候補という組み合わせ。絶対に勝てないような相手であるという。そこに所属する塾生に聞いてみた。「じゃあ、頑張るのを止めるか?」、返事は「頑張る!」だった。勝てないと思っていても頑張って練習して、一生懸命に戦うのはなぜだろう。

私の大学の後輩で部活動の顧問をしている者がいる。休日もなく熱心に指導する。朝練も毎日。学校の勉強や生徒の家庭の事情もあまり気に留めているようには見えない。彼は何のために顧問になり、日々指導しているのだろうか?話を聞くと自慢話にしか私には聞こえない。好成績を収めた時に彼自身の実績になるから?と勘ぐってしまう。

中学校が100校、大会に出場したら、その頂点に立てるのは1校だけ。卓球などの個人戦で1000名出場したら、優勝するのは1人だけ。あとの999人は負けるのだ。ほとんどの学校や個人は負けるのである。それなのに一生懸命に練習をして試合に出場する。

どうして、部活動をするのだろう。どうして一生懸命に練習して戦うのだろうと考えると・・・。
負けた時こそ、多くの事を学べる。一生懸命やったからこそ、多くの事を学べる。そして、勝った時は自信を得られる。勝っても負けても学べるからだと思う。試合の後、次の目標に向けて進んで行ければいいと思う。

続く


部活動と勉強の両立① ~私と部活動~ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

私は中学、高校、大学でやってきたことは何かと聞かれれば、
「部活動(運動部)」と答える。
とは言っても、たいした結果を残していない。
いや、むしろ結果は散々なものだ。
それでも10年間、勉強よりも部活動中心の日々だった。

小学生の時から運動ばかりやってきた。

小児ぜんそくで、すぐに体を壊し学校を休む。
身長も低く、痩せていた。
体に恵まれてはいなかったが、小中高と運動を続けた。

小学校の時は、野球、サッカー、アイススケート、ローラースケート、水泳。
中学では野球部に入った。
高校から卓球を始め、
大学でも卓球部に所属した。
大学時代はスキーもかなりやった。草野球チームに入って日曜日には野球もしていた。
社会人になっても、草野球をしたり、自転車、ランニング、スキーも継続。マラソン大会にも何度か出場した。

趣味を「スポーツ」と言い、やる事も見ることも好きだった。将来、スポーツ記者になって世界を飛び回れれば幸せと考えた時期もあった。

勉強はというと、スポーツの次の位置づけで、やるときにはやったが「勉強を頑張った」と胸を張るわけにはいかない。

中学では毎日、野球部の練習があり、帰宅するとすぐにプロ野球。テレビが始まるまではラジオを聞き、テレビの放送が終わると試合終了までラジオを聞いていた。そして寝る。という生活を続けていたので勉強は殆どしなかった。

高校では卓球部に入り、これも毎日練習。高校3年になるころ同学年の者は次々と受験勉強のために抜けていった。ところが私は、夏まで続けた。高3生が出場できる最後の大会まで出場した。勝ち抜いたからではない。現に最後の大会は個人戦1回戦負けである。夏までやったのは卓球部のまとまりがなかったから。最後は後輩と少しは心が通じ合えたと思っている。

大学でも卓球部。授業に出ても面白くない授業では、いつも卓球の作戦を練っていた。教員志望だったので、就活もせずに卓球部を続けていた。

こんなに、長々と自分のことを書くつもりはなかったが、部活動(スポーツ)のことを考えると色々あり過ぎて、つい書いてしまった。

さて、私が言いたいことは、
私は部活動、特に運動部に対しては思い入れがあり、肯定的立場の人間であるということ。部活動を一生懸命にやる子、スポーツを一生懸命にやる子を応援したくなる。

そして、これから言いたいことは、
部活動は何のためにあるのだろうか、運動をどうしてやるのだろうかということ。小中高生と保護者様、そして先生方にも考えてもらいたい。

今回は、私がそれに対して否定的になってしまうかもしれないので、前もって言い訳をするために、「私は部活人間です」と言うことを伝えたかったのである。

長くなってしまったので、続きは次に書くことにする。

「できない」原因は自分の中にある [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

ある初対面の男性(保護者様やいぶき学院関係者ではありません)から、
「・・・できない」、
「・・・無理」、
「・・・どうしようもない」、
「誰かに・・・やってもらわないと」
という言葉を聞いた。
初対面の方で、相手から見て私の事を知らない人ですから何と言っていいか困った。

自分が客観的に見て、決してできない事ではないと思い、
私は「この場合は、こんなことができると思いますよ」、「私も同じような経験があり、その時はこんなことをしました」とお話しをしたが
相変わらず「どうしようもない」という話。

私の出した結論は、やる気がないということ。
言い訳ばかり。
何もそこからは生まれない。

「できない」原因は、本気でやろうとしていないからで、
「できない」思ったら絶対できません。

実現したいものがあるならば、どうしたらできるか考えればいい。
それが新しい発想に繋がったり、自己成長に繋がる。

私も今まで生きてきた中で、
自分で「できない」と思ったことはできなかった。
ただ、不思議なことに、
自分が「できる」と思ったことは、ほとんどできた。
大勢の人が、「それは鈴木先生できないよ」と言われたことでも
今、できていることがある。
それによって、みんながこれから社会を変えていくきっかけになってくれればいい。

無理でも絶対にやらなければならない事が必ずある。
その時に「できない」と思ったら、「できない」
でも「できる」と思ったら、絶対「できる」

「できる」ことを「できない」と
自分自身に言い訳していませんか?諦めていませんか?

こんなことができたら楽しいな。
あんな事が実現できたら楽しいな。
まだまだ楽しいことはたくさんある。

「できない」と思うか「やってやる」と思うかで人生の楽しさが変わる。


勉強よりも、受験よりも大切なこと [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

勉強よりも大切なことが沢山ある。勉強はそれを得るための1つの手段にすぎないからだ。
勉強のための勉強では目的がない。「どうして勉強をするのだろうか」という術にぶつかる人もいるだろう。

志望校合格よりも大切なことが沢山ある。志望校合格はゴールではなくスタートだからだ。
志望校に合格したら、「何をやったらいいかわからない」、「疲れたから少し休みたい、楽しみたい」と思う人もいるだろう。ところが、実際には小学校より中学校、中学校より高校、高校より大学、大学より社会の方が大変なのだ。良いスタートを切れば、勉強が楽になる。学校生活が楽になる。

本当に大切なことはずっと先にある。だから勉強をする。 だから志望校合格を目指す。 今を精一杯!

充実した日々を送れることは、退屈な日々を送るよりも、生きがいを感じ、さらに自分が成長できるはずだ。
成長は喜びと嬉しさと感謝の気持ちに通ずると思う。



都立合格!「でも私立も魅力があるし・・・」都立か私立か!? [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

2月2日
都立高校の合格発表

前日の夜、何度も合格発表の夢を見て、寝起きを繰り返した。
KU君がいぶき学院に来て「先生合格したよ」と言う夢を見たが・・・正夢となった。自己採点の結果では五分五分と思っていた子だ。

そして朝、結果を知らせる電話が続々となります。
最初にTHくんのお母さんから「合格しました」と言う電話。
直接報告に来てくれる塾生。
お母さんと一緒に報告に来てくれた塾生。
お母さんから「不合格だと思っていたが合格したという喜びの電話」
そして、受からないだろうと思っていたDO君が、合格通知を持ってきたと時は、本当にうれしかった。

挑戦校を受験した塾生も次々と合格!
いぶき学院の都立合格率は、2月2日現在判明した分で計算すると、
合格率94%を超えが確定!

ところが1人、都立に合格したのに「私立にするかどうか迷っています。相談しに行きたいんですけど」と電話があった。
会って話を聞くと、
「親は自分で好きな方に行けばいい」、「学校の先生は親とよく相談して決めなさい」と言うという。
結局自分で決めることではあるが、周りからそういわれては本人が決めかねるのも無理はない。私立の入学金の支払いは明日まで。今日中に決めなければならない。

どんな高校生活をおくりたいのか。
私立と都立の違いは何か。
何を一番大切にするのか。
悔いを残さないのはどちらか。

一緒に考えた。そして私なりの両校に対する見解を参考までに話した。

その結果、「○○高校にします」と本人が口にした。

「良く決めたぞ」…自分で物事を決めるということは凄いことだと私は思う。

「どちらに決めても、決めた高校が自分にとって一番いい高校になる」…大原則。

「なぜならば、自分でその学校を自分にとって最高の学校にできるのだから」…通う学校が第一志望だろうが第五志望だろうが、一生懸命やった結果。結果は自分で引き取るモノ。だれのせいにもできない。
そうなったのならばそれは運命。自分が頑張った結果行くことになった高校は、誰が何と言おうと最高だ!
自分に合わないわけがない、なぜなら自分で学校を変えていけばいいからだ。

彼はすげぇ奴。必ず高校生活を楽しめる。


話が終わる前に帰る準備をし始める [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

以前勤めていた会社で、外部の研修会やセミナーに色々と出させていただいた。それが今の自分の基盤の1つとなっている。

その中で某有名コンサルタントの研修会に何度も参加した。新人研修から部長級の研修会まで出させていただいた。研修会参加者は100名以上。300名ということもあった。そこでたくさんの事を知り、多くのことを学ぶことになったのだが、今でも忘れられないことがある。それは、研修会の内容ではなく、終了となる時の様子である。

20代の私は、数年の間に色々な研修を受けさせていただいた。新入社員研修にも参加し、幹部候補と言うことで大企業の管理職の方々(本当は30歳以上限定)にももぎれこみ、200名の中で最年少で参加と言うことがあった。

その時の、新入社員と管理職の研修のギャップが凄かった。研修内容は新入社員研修とはいえ、かなり難しいお話で、どの研修に出ても私にとっては新鮮なことばかりで、宝の宝庫であった。だから、内容についてはギャップは感じなかった。

ギャップを感じたのは、研修会が終わる時だった。
新人研修は、話が終わりに近づくとバタバタとレジュメや資料わまとめ始めて、カバンの難に入れ始めるものが出てくる。講師が終了を告げる時には半分くらいの人は立ち上がり席から離れ始めている状況。ところが、管理職の研修に出た時は、終了を告げても全員がすぐに立ち上がらずにいた。

何が違うのだろうか。講師の話の問題だろうか。いや、それは違う。聞き手の気持ちの問題である。

話の最後は大切なはずで、話し手のまとめがそこであるはずである。
最後まで聞く姿勢でいれば、話す方も気持ちよく最後にいいことを言ってくれるかもしれない。
そして、話を聞こうと言う気持ちがあれば、どんな話からでも得るものは必ずあるはずた。
新入社員は命令で参加して、損かすればそれでいいと思っているのかもしれない、管理職は研修会の内容を活かして、会社での経営に役立て寝責任があるということかもしれない。

感動した映画のエンディングは最後まで、うつろに席を立たずに聞いているもので、つまらない映画はすぐに席を立ってしまうことはある。しかし、そこの研修会のレべルは高く、私にとってどれも素晴らしい内容であった。当然わかったいる内容ではなく、全く新しい斬新な内容であり、新入社員ならなおさらインパクトの強い話であったはずである。それでも、最後まで話を聞けないとなると、いつまでも出世はできないであろう。


「話は最後まで聞く習慣をつけることは非常に大切なことである。いぶきでは、終了時間が過ぎても、先生が終了を宣言するまで片付け始めないのは、当たり前のルールである。終わり間際に時計をちら見したり、「先生時間だよ」などと塾生が言ったら許さない。

1/15に渡辺塾の渡辺先生の特別講座があった。終了時間を25分以上オーバーしたが、誰も「時間過ぎてます」とか言わなかった。私が見ている範囲では、皆(実は2人ほど睡魔と闘っていたが)が真剣に聞いていた。それは、渡辺先生の力量があることで引き塾生を付けていたことと、渡辺先生の一生懸命さが塾生に伝わったこともも大いに関係することではあるが、塾生は誰一人として、片付けようとはしなかった。それは褒めてあげたい。ただ、ご家庭に心配と迷惑をおかけしたことについてはお詫び申し上げたい。

成長できる人間は、最後まで人の話を聞くことができる人間である。
どんな話でも、必ず得るものがあるのだ。それを見出すことも大切な研修でありトレーニングである。



志望校を変更する勇気「都立高校の願書取り下げ」 [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

さあ、都立高校の一般入試の願書が出されて倍率が発表になりました。

私は、「絶対に行きたい高校」と「絶対に受かる高校」を受験するように指導しています。
いぶき学院は、合格実績を稼ぐために行きたくない上位の高校を受けさせることは一切しません。成績と学力を上げて、行きたい高校を受験してもらいます。

ただ、学校の成績と模擬テストのデータから計算して出した数値が、1000点満点で-100点と言うことになれば、倍率が1.00倍を切るかそれに近い状況でない限りまず合格はありません。-30点でも合格確率は40%に満たないでしょう。合格基準点ちょうどでも合格確率は60%です。合格圏に入っていてもほぼ五分五分の勝負です。

「絶対に都立高校に行く。私立高校は行かない。」と決めている場合は、安全策を取るべきでしょう。

問題は、「本当は都立に行きたいけど、不合格ならば私立に行くことも有り」というケース。合格基準に20点ほど足りなく、倍率も2倍前後。
「ひょっとすると受かるかもしれない」とか「受験はやってみなければわからない」という考えかたもあります。勝負に出て実際に受かったケースもあります。ただ、そのようなケースは稀であると考えてください。不合格となった場合に「受けなければよかった」となるならば無理をして受けてはいけません。

それでも受けるならば、①家族会議で私立を覚悟すること、②あと2週間を、かつて経験したこともないような学習をする。これでだめならスッパリと気持ちよく私立で頑張ると切り替えられるようにする。もちろん合格できればOK。

合格の可能性が薄いA高校。1つ下げて受かる可能性があるB高校。2つ下げると絶対受かると思われるC高校。第一志望はA高校。
一番楽な決断は、A高校を受験して不合格なら私立高校。
一番辛いのは、1つ下げてB高校を受験すること。A高校ならば不合格でも言い訳ができる。「やっぱり難しかった」と。ひょっとしたら「良く挑戦したね」と褒められるかもしれない。
しかし、B高校にすると合格が大前提。不合格したら言い訳ができない。「困難なA高校にチャレンジせずにB高校に不合格?」と言うことになる。
だから、猛勉強をして、B高校に合格するのです。そして「これならばA高校できたかもしれないね。」という結果を出すのです。

“受けることより、変更することの方が勇気がいるのです”

一見、無理だと思うことに挑戦することは、かっこ良く見えるかもしれませんが、むしろ空しさが残りませんか。

数年前、小山台高校志望の子が提出前に相談しに来て、三田高校にすると言ってきました。絶対に小山台と言うことでもなかったようで、三田に願書を出して受験しました。結果は合格。本人も家族も納得しています。今も頑張って勉強しています。小山台から三田へ変更したことは、カッコ悪いことですか。むしろ小山台に挑戦して不合格の方が嫌ではありませんか。その子は小山台の合格圏でした。

人は、「無理だと思ったら夢は叶いません」、「無理と言われても、夢を追い求めれば必ず叶います」

ただし、これは都立高校受験なんです。内申で30%決まっている中で、色々なデータを鑑みて結果がかなりの確率で見えるのです。計算上、受験前に合格100%、0%ということもあるのです。失敗したら来年(浪人)が無いのが高校入試です。

とにかく、後2週間、体調を管理しながら猛勉強をして、その結果入った高校ならば、あなたにとって最高の高校になります。そこで3年間充実した日々を送り次の目標目指して進んでいくことです。

大切なのは“努力をしないで結果を求めない”、“合格通知より卒業証書”という事を肝に銘じてください。


都立校決定・願書取り下げ関連

挨拶をする学校 [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

少し前の話

《卒塾生の保護者様から聞いたことです。》

彼女が中学3年生の時、いぶき学院で3者面談でのこと。 彼女はB高校志望だったのですが・・・ 本人「A高校に行った時、挨拶を沢山されたけど、B高校では挨拶がほとんどなかった。」 私「だったらB高校へ行って、B高校を挨拶をする学校にすればいい。」 彼女はB高校を受験して合格しました。 そして、彼女は生徒会長になり、B高校を挨拶をする学校に本当にしてしまいました。


こんな学校は嫌だとか、こんな家は嫌だとか、こんな会社は嫌だとか、こんな社会は嫌だとか、こんな国は嫌だと思うならば、自分で変えれば良い。

周りのせいにしていても何も変わらない。
無理だと思った時点で可能性がなくなる。
叶えたいことは、諦めなければ必ず叶う。


君はこの世の中で、なくてはならない存在なんだ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

先日の中学生の授業でのこと。

やってきた宿題を見て回っていると、図形の問題でプリントに答えしか書いていない子を発見。図に書き込みが無いとできないはずなのにできている。

「これはどうやって考えるの?」と聞くと、しどろもどろになって必死に説明しようとしているけれど結局できない。
「どこの問題から答えを写したの?」と聞くと、「ここから最後まで」と言う。

「君は、この世のでなくてはならない存在なんだ。生まれてきたからには役割があるんだ。大人になって必ず、『あなたのおかげて助かったよ』と言われるはずだ」
「勉強なんかできなくてもいいし、一流大学を出なくても構わない。もっと大切なことがある。」
「それは、自分を変えていくことだ。人は一生涯成長し続ける。向上心が無いと自分が変わらない。成長できない。」

彼は心優しく素直な子であり、勉強もできないわけではない。将来に期待している私は、その向上心の無さに憂いを感じたのだ。答えを写してきた事なんかどうでもよい。ただ、それを平気でやっている彼が、成長できない人間になってしまうのではないかと思うと黙っていられなかった。

頑張っても、努力くしても、一生懸命やっても、時間をかけても、誠心誠意こころを込めても、うまくいかないことが多い。しかし、結果に関わらず人は成長していくのだ。

誰でも、その人でなくてはならない役割がある。みんなが、この世になくてはならない存在だ。だからこそ、その役割を思う存分果たせるように、今の自分を高めていくことが大切だと思う。だから、結果が分からない事に対して精一杯頑張るのだ。

受験生諸君、
 今やるべきことは、“最善を尽くす”ことではないか。

結果として同じだから・・・ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

「結果として同じだから・・・」と、途中計算を抜かす人

「合理的。」、「要領がいい。」と言えばそうなのかもしれないが、途中計算を抜かして計算したり、理解していない公式を使ったりしていると、それこそ“結果として学力が伸びなくなる”
いずれも、答えがあっていればいいという考えがあるからだ。

途中計算を抜かすことについては、抜かすことや暗算が悪いということではない。途中計算は結果として抜けるものであると考える。良くわかっていない段階では、解答を導くまでのプロセスをしっかり叩き込む必要がある。身につくまでは基本練習を繰り返すのだ。
スポーツでも同じだ。いとも簡単にトッププレイヤーがやれるのは基本ができているからだ。ここぞという時の勝敗の分かれ目で、勝敗を決めるのは基本ができているかどうかだ。
どんなことでも“最後は基本”なのだ。

結果を重視すると、勉強=丸暗記となる。
そして、それがこれからも繰り返される学習法となる。
やがて丸暗記できない量となることに気付いていない。

一番大切な核となるモノを身に付けて、それに少しずつ知識を加えていけばいい。知識が増えると、他の知識と結びついて楽になる。年々楽になる。
丸暗記は学年が進むにつれて苦しくなる。

だから、途中式はしっかり書くのです。


塾生最高! [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

区立中学生の2学期期末試験(後期中間試験)対策期間が終わりました。

今回は11月8日と15日の各日曜日に教室開放をして、授業、補講、自習を行いました。8日は私が出られなかったのですが、山本と白畑が手を上げてくれて休日出勤してくれました。15日は私と山本、そして最後に白畑が来てくれました。その日の最後に、「2人は無給で来ているんだよ」と言うと、子供たちは一瞬目を見開いて前を向き直しました。それぞれがどんな思いを持ったかはわかりませんが、先生たちの気持ちは伝わったと思います。

さて、この1週間は何人の塾生が自習に来たのだろうか?過去最高の自習人数だったと思う。いぶき学院は教室が4つあるのですが、15日は各教室と教室外の自習スペースに、塾生を振り分け、なるべく隣り合わせにならず、余裕を持って座れるようにしました。10:30から始まり昼食をはさんで19:00まで約8時間いた塾生が半数近く。

さらに、豊葉の杜が金曜日まで試験があったので、木曜日まで毎日通っていた塾生も多数いました。試験中は。早く帰ってこられるので、14:00から21:30までいた塾生も何人もいました。夕食抜きです。Sさんが一番長く勉強していたかなぁ。日曜日8時間、月曜日5時間、火曜日5時間、水曜日6時間、木曜日6時間。合計30時間は来て勉強していたのではないかと思う。

そのほかにも、Nさん、Hくん、Kくん、Aさん、Uくん、Hくん、Hさん、Aさん、Mくん、Rちゃん、Yくん、Kさん、ANさん、Tくん、Mくん・・・そしてHTRIKAくん・・・と切りがありません。だれか抜けていると思ったら、いました、HYTくん。わすれてはいけないNさん。多少居眠りをしていたIEIくん。中1ではYくん、Kくん、特にWくん、勉強が嫌いなのに頑張ったMくん。中2はMさん、一番の頑張り屋さんはAKIMくんだと思う。AKIMくんは半端なく頑張りました。まだまだ抜けている人がいるかもしれません。ごめんなさい。

殆どの塾生が過去最高に勉強したと言っています。

しかし、これだけやったからといって実際の結果は上がるのでしょうか?
もし、上がらなかったら、この何十時間の勉強は無駄と言っていいのでしょうか?
どうせ、上がらないなら友達と遊びに行ってもゲームをしていても同じではないでしょうか?

上がらないかもしれません。ひょっとしたら下がるかもしれません。
下がったとしても、この頑張りは無駄ではありません。ものすっごく価値のあるものです。どうせ、「勉強なんかしても・・・」とか「ゲームの方が楽しい」という人と比べて、わたしは、超かっこいいと思うのですが、みなさんいかがですか。
頑張って勉強して、結果下がったとしても、この頑張りについては称えたいと思います。
勉強をしないでできるようになる人はいませんし、勉強をしてできなくなる人はいません。結果が悪くても間違いなく、勉強はできるようになっています。自信を持ってください。「自信は努力から」なのです。

中にはノーベン(勉強をしない)でテストを受ける人がいます。それをかっこいいと勘違いしている人もいます。ノーベンでいい成績を取って、何か残ることがありますか?さらにノーベンで高得点を取ったことを自慢するような人が、これから社会で他の人達を幸せにできるようになるのでしょうか?

私は、今回塾生から多くの事を学びました。本当に大切なことは、試験結果ではなくそこに至るまでの頑張りだとつくづく思います。試合よりも、大会よりも、そこで最高のパフォーマンスができるように、頑張ることが人を育て、人間力をつけてくれると思います。人間力をつける勝負は本番前に決着はつくのです。

“結果を恐れず最善を尽くす”

塾生最高!

冬期講習も全力投球!

足るを知る [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

11月8日に全日本私塾教育ネットワーク(私塾ネット)の定例研修会があった。
テーマは自塾の良さについてである。

4つの塾の職員が交代で自塾の良さを語った。
良い研修会だと思う。なにより、発表者にとって自分の塾について考える良い機会となったからだ。

うまくいっていない時、「反省」とかをして、“どうしてそうなっているのか”、どうすればいいのかを考えるのが人である。ところが、うまくいっている時は、“どうしてそうなっているのか”を考えないようである。

うまくいっていない時は、原因が分からなくても変えようとするが、うまくいっている時は、なかなか変えようと思えない。

うまくいっていない時でも、うまくいっている時でも、いつでも、足るを知り変えていくことができれば、良い時が継続していくのだ。

だから、うまくいっている時こそ、なぜうまくいっているのかを考え、足りなないものは何かを考え、継続して改善していくことが大切だ。

どちらににしても、私塾ネットのこの企画は良い企画だと思う。特に発表者にとっては自己研鑽の場となったと思う。私塾ネット関東の研修部に感謝。

勉強より大切なもの その2 [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

「やればいいじゃん」
やりたければやればいい。簡単なことだ。
我々は、子供たちがやりたいことができる環境を整えること、機会を与えることしかできない。

「やればいいじゃん」
簡単な言葉ではあるが、上司ならば「責任は俺が取るから・・・」と言うことだと思う。
好き勝手にやらせて、うまくいったら上司が手柄を横取りではない。

「やればいいじゃん」
そして、どんな結果になろうとも「がんばったね」と暖かく迎え入れる。
成功や失敗は気にすることはない。
むしろ失敗の方が勉強になる。
なせなら、改善できるから。
だからこそ、目的を持って行動して欲しい。

「やればいいじゃん」
ほったらかし、勝手にやれよ、どうなってね知らないよ、それはお前の役割だろう・・・ということではない。
見守り、何気にフォローをいれて、周りの批判苦情は本人に気付かれないように処理をする。

「やればいいじゃん」
本人は、結果の観察と分析をさせて次につなげる。
一生懸命にやった結果。胸を張ってOK。
結果を受け入れる勇気を持つことも大切。
言い訳は無用。
色々言われることはすべてアドバイス。なぜなら面と向かって言っているのだから。
感謝!

「やればいいじゃん」
関わったくれた人たちに感謝。

必ず良いことがある。

中学数学「長さを求める」から学ぶ [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

高校受験生に繰り返し言っていることがある。

その1つが、「長さを求めなさいと言う問題は3つしか方法はない」である。

長さを求めなさいと言われて何を考えるのかというと、
1.面積や体積の利用
2.相似の利用
3.三平方の定理の利用
の3つのどれかを利用するように言っている。

垂線の長さを求めるならば、面積や体積を利用できないか疑ってかかる。
∠C=90°の△ABCがあり、AB=25㎝、BC=20㎝、CA=15㎝とする。
∠Cから斜辺ABに下した垂線の長さCDを求める場合、
△ABCの面積は、20×15÷2=150㎠となる。
また、この△ABCのABを底辺として考えると、高さはCDとなるので、
25×CD÷2=150㎠となるので、
CD=12㎝となる。

求める長さを高さとして求めるので、垂線を求める時に限る。
実際の入試問題では、面積や体積の利用よりも、掃除や三平方の定理から求める場合が圧倒的に多い。
だから、垂線の場合は一応疑ってかかる程度でよい。ただし、問題の流れとして、前問に面積や体積を求める問題があると確率は高くなるので注意。

長さを求める問題のほとんどは、相似か三平方の定理を使うことになる。
相似を利用する場合は相似な三角形を、三平方の定理を利用する場合は直角三角形を問題の図から見つけ出すことが必要になる。
もし、相似な三角形も直角三角形も無ければ作る。
つまり、補助線を引くことである。
補助線は、平行に引く、結ぶ、伸ばすのどれかである。(これも繰り返し言っている。)
円は結ぶ補助線がほとんどであるが、補助線はまず平行線から引こうとすると良い。
後は、できた相似な三角形や直角三角形を使って長さを求めればよい。

相似な三角形を見つけたり作ったりする訳だが、そこで忘れてはいけないのが、三角形の相似条件。
三角形の相似条件は3つあるのだが、実践では「2組の角がそれぞれ等しい」だけ頭に入っていれば、ほとんど事は足りる。

結局、長さを求める問題は、
相似か三平方を利用する。
その場合等しい角や直角を探したり、作ったりすることになる。

したがって、『長さ』を求めるには『角度』が重要なのである。
『長さ』という言葉にとらわれて『角度』に目が向かなければ長さは求められない。


どんなことでも関係が無いことが重要だったりする。
答えを求めようと焦って周り(未来・本当に大切なことや人)が見えなくなってしまうことがある。
大きく深呼吸をして見方(方向・内外・全体)を変えてみると新たな発見が必ずあるはずだ。



人生七転び八起き [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

人生は何度でもやり直しがきく。人生、七転び八起きである。
まして10代や20代なら、なおさらだ。

「中学校受験で失敗した」ことは、人生においてどれだけ大きな失敗なのだろうか。いや、失敗のうちには入らないかもしれない。

「高校受験で日比谷高校に不合格した」ことで人生が終わることはない。もしそれで将来、不幸せになるとしたら、受験生の3人に1人しか合格できないのだから、3人に2人は不幸せになることになる。そんなことはない。

高校を中退したから・・・、国家試験に受からないから・・・、大学に何年も入れないから・・・、頑張っても成績が上がらないから・・・と、落ち込むことはない。また、前を向いて歩み始めればいいことだ。

人生80年。これから先は人生100年の時代だ。初めの20年失敗しても、まだ80年ある。くよくよしている時間の方がもったいない。

夢を持ち続け、目標は常に変えながら進んで行けばいい。
前に進むから新しい世界が広がるのだ。行ってみなければわからない世界が待っている。

人生七転び八起き。
転んでも起き上がり前へ前へと進む。
いぶき学院は転ばぬ先の杖になることを目指しはするが、転んだ時の戻る場所になれればいい。


道に迷ってますか? [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

道に迷ってますか?

道に迷うことは良いことです。
なぜなら、道に迷うのは、目的地があるからです。


目的地(たどり着きたいところ、達成したいこと)が無い人は道に迷うことができません。
行き先が無いのですから、さまよっているだけです。
ふらふらしているだけで、偶然どこかへたどり着くかもしれません。
たどり着いたところが良いところか、悪いところかは別として。

あなたは、運に身を任せて、ふらふらして生きていきますか。
それとも、目的地を目指して生きていきますか。

商売という観点で考えると、ふらふらして良いところにたどり着けた時代は確かにありました。
しかし、今はそのような時代ではありません。

生きがいという観点では今も自分がやりたいことができるし、なりたい自分になることができます。
だから、ふらふらせず目的地を目指して進む重要性があると思います。
そして、道に迷ってください。
たくさん失敗してください。
目的地が近づいている証拠です。


仕事や勉強を、自分ができるところまでやって満足していませんか。
目的を達成するための行動であったかどうか、
目的を持った上での行動かどうかを考えてください。
「やるだけやったから悔いはない」は、
目的をもって行動した人だけが言える言葉です。
目的の無い人が言うと、言い訳にしかなりません。


あなたは、何のために、何をしたいのですか。

答えは簡単です。
目的地を決めて、道に迷うことですよね。


お知らせ、大井町から教育を考える会主催の「私立中高相談会」が11月3日に開催されます。大井町近隣にお住いの小中学生の通学圏内の私立中高22校が集結でします。是非お越しください。案内はこちらから。→OKK相談会

勉強するということ6「成長し続けるために」 [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

理由を考えなくなってしまうと、気づきがなくなります。

台形の面積の公式は、「(上底+下底)×高さ÷2」です。この公式を使って面積を求めて正解!となれば、ほとんどの子は満足します。

しかし、意味の分からない公式を使って正解を出すことに、どれだけ価値があるのでしょうか?

テストの内容や考えた過程を良く見ないで、得点だけで良し悪しを判断すると、子供も得点を気にするようになります。意味なんかわからなくても、○をもらえれば親が認めてくれるのです。時には褒めてくれて、しかもご褒美までもらえたり・・・。

正解にこだわるのではなく、そこまでたどり着く過程、「なぜ」、「どうして」を大切にして、そこをしっかり見てあげないと、考えない人間になってしまいます。

失敗が許されない事がやがて訪れます。だからこそ、子供のうちにたくさん失敗して学ぶ必要があるのです。失敗が許されないときに失敗しない実力をつけるために、良く考えてたくさん失敗をするのです。我々は「できなくてもいいんだよ」、「まちがってもいいんだよ」、「自分で考えて、考えたことを話してごらん」ということになるのです。

台形の面積の求め方はたくさんあります。

それなのに、「(上底+下底)×高さ÷2」の公式を覚えさせて、それを使って解かせても、数値の代入の練習と計算練習くらいにしかなりません。

「台形の面積がわからないから教えて」と親のところに子供がやってきて
「台形の面積の公式は(上底+下底)×高さ÷2だから、それに数字を当てはめると・・・ほらできただろ」と教えても、親の威厳が保たれる以外、ほとんど無意味だと私は思ってしまうのです。

「台形の面積がわからないから教えて」と子供がやってきたら
「台形ってどんな形か知ってる?」
「面積っていったい何?」
「じゃぁ、どうすれば面積がわかるか考えてみようか」と言って考えさせればよいのです。どうしてもわからないようならば、長方形や平行四辺形、三角形の面積はどう考えるのかを聞いたり、紙を切り抜き台形を作って与えてもよいでしょう。2枚与えることもありでしょう。

どんな求め方にせよ、子供の考えを認めて受け入れてあげましょう。そして色々な台形の求め方を考えると良いと思います。そして「台形の面積の公式(上底+下底)×高さ÷2」の意味が説明できればOKです。自分の力で色々考えられたこと、求められたこと、説明できたことを確認して褒めてあげてください。
「おまえは、すごい!」、「たいしたもんだ」、「算数、できるなぁ」

世の中にあるもの全てに意味があるのです。その意味を考えること、そして新しい発見をすることで人は成長し世の中は発展していくのです。

意味を考えず意味がわからないのに答が出て褒められる。そんなことを繰り返していたら人は成長できません。

「あっ、そうか」
「だから、こうなるんだ」
「なるほど、そういうことか」

人は色々な発想をすることができます。しかし、考えなくなってしまったら発想が生まれません。全ての事から人は学べるのに、「これはこれ、あれはあれ」と覚えていたら、新しい発想(全てに共通すること、真理)を見出せません。「こんなことをやって何になるんだ」、「こんなことは意味かない」と最初からやる事をやめるかもしれません。

繰り返しになりますが、意味のないものはありません。
そこに自分の意味を見出すことが成長につながると思います。



スタートする時は後ろを見る、スタートしてからは前を見る [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

自動車運転。スタートするときは後方の安全を確認します。
自転車運転。こぎ始める時は後ろから誰か来ないか、自転車や自動車が来ないか振り返ります。
歩行者。立ち止まっている人が歩き始める時。後ろを確認して歩き始めます。
スキー。斜面の途中で止まっていて滑り始める時、後ろ(斜面の上方)から誰か滑ってこないか確認します。

どんなことでもスタートする時は後ろを見て安全確認をします。
ですから始める時は、今スタートできるかどうかの確認が必要です。
その確認は、時期と自他の状況の確認です。

一度スタートしてしまえば前を見ます。
目標とするゴールに向かって精一杯行くたけです。
横から入り込んでくる人や、突然スタートする人をかわしながら進んでいきます。

大きな事故を起こすのは、スタート時です。そこの判断を誤らず、目的を見失わず、目標をクリアできれば、おのずと結果はついてくるのではないでしょうか。


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