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勉強ができない子! [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 今まで何度も書いてきたことですし、これからも書き続けるしかないテーマです。

 本当はあまり書きたくないことでもあるのですが、子供達のことを考えると書くしかないのです。

 「教わるな!」

 「やり方を覚えるな!」

 勉強は教わるものではなく、自分で習得するものです。


 では、なぜ学校や学習塾があるかと言うと、習得する機会を与える為です。

 そして、効率よく学ばせるために、学んだことを明確化して次のステップに導く。

 自分で考えて(教わらないで)見つけた“こたえ”を明確化すると、「なるほどそういうことだったんだ」と深く頭に刻むことができます。

 その“こたえ”は自分のものとなり定着し、次のステップで利用できるようになります。

 そのためには、目的と理由を常に考えること。

 意味が解かるまで読み返し、見て観て視て考える。

 色々な方向から考える。

 色々な切り口から考える。

 小さいところを見たり、全体を見たりして考える。

 とにかく、教わらないで自分で考える。


 大人が自分自身で習得させるためにできることは、結果で判断しない、結果で叱らない、結果を求めない、お教えない、解ってあげる、受け入れる、話を聞いてあげる。

 授業中に「ここであと5秒まてば自分で気がつくかもしれない。教えてはいけない」と葛藤する日々です。

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いい人生を送っていると思う人 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 歳を取ってくると、「自分の人生はどんな人生だったのだろう」とつい考えてしまいます。

 もちろん、人生はまだまだ続きますから、「どんな人生を創っていこうかな」とも考えます。

 「私の人生に悔いはない」、「私の人生はいい人生だ」と思う人の人生はどんなものでしょうか?

 「子供達に将来どうなりたい?」と聞くと・・・

 「お金持ち」系の答えを言う子は少なくありません。

 「小金餅になりたい」
 「たくさんお金を稼ぎたい」
 「年収が多い人と結婚する」

 お金をたくさん稼いで財産もかなり残し、豪邸に住んで、高級車に乗れて、毎日毎日、何不自由なく生活できて、私の人生は素晴らしい、悔いのない人生だと思えるかなと考えると、少なくとも私は思えません。

 でも、お金はあまりなく貯金も多くない。広い家ではないけれど住むことができ、毎日必死に一生懸命生きてきた。なんて素晴らしい人生だろうとは思います。


 最近、いい年になって気づいたことが有ります。

 人の役に立ちたいと今までも思って生きてはきましたが、なかなかそれは難しく、実際に人の役に立てているのだろうか、助けてあげているのだろうか、喜んでもらっているのだろうかと考えていました。

 ところが、目の前で人が喜んでくれる姿を目にすることができました。

 そうしたら、嬉しくなってしまい、本当に自分は幸せ者だなぁと思うことが有りました。

 人の人生に関与する仕事をしている者として、役に立っているという思いが、さらに自分のやる氣を奮い立たせてくれました。

 何のために生きているのかというと、自分の幸せのため。

 自分の幸せは何かというと、人の役に立つこと。

 役に立とうと思うのではなく、自分自身が一生懸命に生きると、人の役に立ち、それが自分の幸せになる。

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試験に出るから勉強するのは本当の勉強か? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 いぶき学院はグループ指導と個別指導があり、グループ指導は高校受験に特化しています。

 小学生のクラスも中学校受験をせずに、高校受験をする子たちが集まっています

 ただ、高校受験までは3年以上あるために、高校受験に直結する内容ではなく、基礎基本のレベルをいかに高くして行けるかということが大切になります。

 そこで、こちらが色々と教えるのではなく、子供達にモノの本質を理解し、基本を習得することで何年後かにやってくる高校受験や大学受験、そして社会に出て活躍できる人間になれるように、よく見ることと考えること表現することを中心に指導しています

 そのような授業をしていると子どもたちは時に、何、なぜと疑問を持ち、その理由を考えて、それがわかってくるとさらに興味を持ち、深く物事を知りたくなって来るものです。

 もし 彼らは中学受験をするならば、「それは受験に出ないから知らなくても大丈夫だよ」とか「 それは受験に出ないから必要ないよ」と言って、興味が持ったことでも、それ以上話を進めることをやめてしまうことになります。

 ところが、中学受験をしない小学生だからこそ、中学受験にも学校の勉強にも直接関係がないことでも、興味を持つことは考えさせ、 私もそれについて話したりすることがあります。

 時には中学校、高校あるいは大学で習うことでも、小学生の子供たちが理解することもあります。

 普段の生活の中でも子どもたちは色々なものに興味を持ち、自ら調べ学び、時にはその事柄については大人より詳しくなる子も少なくありません。

 子供達を縛りつけずに解き放てば、無限の可能性があるということがお分かりになると思います。

 子どもたちの小さな疑問に対して、大人たちが「今はわからなくていいよ」、「そんなことどうでもいいよ」、「そんなことやっているヒマがあったら勉強しなさい」などと言って興味関心の芽を摘まずに、「インターネットで調べてごらん(一緒に調べよう)」、「今度の日曜日に実際に見に行こうか」と育むことをしたいものです。

 私の小さな頃のように遊びを通して学ぶということが、ままならない今の世の中であるからこそ、学校や学習塾の授業や行事、家庭での生活など、全てのことから子供達が興味関心を持ったことを大切に育ててあげることが、本当の勉強なのではないかと思います。


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考えない子供達 [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

 イチローさんが、野球は頭を使う競技なのに、そうじゃなくなってきているのが気持ちが悪いと引退会見で言っていました。

 考えなくなっているということです。

 もはや野球はデータから計算された方法で、投げて、打って、守っている競技になりつつあるのかもしれません。

 ピッチャーは変化球の投げ方がわかっている。

 しかも、バッターのデータもわかっているので、後はその通りに投げれば良い。

 バッターはピッチャーのデータがわかっているので、その通りに打てばよい。

 守備はバッターのデータがわかっているので、アウトにできる守備位置にいればよい。

 自分で考えて、投げて打って守ってではなく、どうしてそうなるのか、どうしてそうするのか関係なく、与えられた公式通りに問題を解いていけばいいのです。


 将棋や囲碁には定石がありますが、定石は長い経験の中で得られた知識であり、どうしてそれが勝利に結びつくのかは当たり前であるはずですが、理由はどうあれ定石を覚える打ち方は、AIが莫大なデータから勝利する確率が高い打ち方を導き出すのに似ています。

 データから導き出した方法を覚え身に付け、どうして正解が出るのかわからなくても正解を出し続ける子が増えている気がします。

 方法を覚えてその通りにする訓練を、勉強と勘違いしている人が多くなっている気がします。

 社会は、言われたこと言われた通りにやれる人を欲していません。

 言われたことをその通りにやるだけの人には、学びがありませんから成長できません。

 臨機応変に対応できません。

 目的と理由を考えてデータを使う人は、臨機応変に対応できます。

 与えられたものに頼らず、自分の目で見て考えることが、子供達に将来別の世界を見させてくれるはずです。


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