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わかりやすい授業・学力が伸びる授業 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 生意気かもしれませんが・・・授業の動画をインターネットで見てみると、解りにくい授業、学力が伸びない授業が沢山あります。

 中には素晴らしい先生がいて、解る授業、学力が伸びる授業をしています。

 しかし、残念ながら多くはそのような授業ではありません。

 一見わかりやすい授業でも、これでは学力が伸びないと思うものも少なくありません。

 今回この話題を取り上げたのは、ネット上の授業の動画を批判するためではなく、子供たちに勉強の指導をする上で皆さんの参考にしていただきたいからです。

 指導する人の中には保護者の方も含まれます。


 私が思いついたことを書いていきます。

 ここでは、中学2年生の一次関数を例にしてみます。


【解りにくい授業】

① 相手(子)が初めて聞く語句を使用する授業
「一次関数というのは・・・」とか、「aは変化の割合のことで・・・」と切り出した途端に子は引きます。一次関数、変化の割合、傾き、切片、増加量、変域などの語をいきなり使って話をすると、「分からない」となり、以後の説明が頭に入らないことがあります。
対策として、基本は知っている言葉を使って新しい語句の意味を説明することになりますが、ア.意味を説明してから新しい語句を伝える。例えば「このようにグラフが増加する割合を、変化の割合と言う」など。イ.新しい語句に興味を持たせるため意味を考えさせる。間違っていても構わない。例えば「変化の割合というのは何だと思う?」など。

② 体系的でない授業
端的に言うとつながりのない授業。最終的な目的もない授業。何のために一次関数の勉強をするのか、この勉強が何につながるのか。さらに、変域、変化の割合、グラフ、交点などは全て関連性があり1つのものであるにも関わらず、途切れ途切れの授業になると解りにくいです。

③ 覚えさせる授業
いきなり「一次関数とはy=ax+bの式で表される関数です。この式をしっかり覚えておきましょう」、「変化の割合とはxの増加量分のyの増加量のことを言います。確実に覚えましょう」では、とても解りやすい授業とは言えません。
対策としては、覚えさせないことです。「一次関数はy=ax+bの式で表されることは当たり前」、「変化の割合はxの増加量分のyの増加量になるのは当たり前」になれば覚える必要はありません。当たり前にするためには、一次関数の意味を理解することです。当たり前でないと覚える必要が出てくるのです。当たり前のレベルを上げることが勉強を楽にするのです。


 いきなり知らない語句を使っても大丈夫で、つながりのない話を聞いても問題なく、覚えなさいと言われてもそれを当たり前にできる子がいます。

 それは、新しいことに対して好奇心があり興味を持ち、「それは何?」と考える癖がついている子です。

 そのような子は自分で学び成長していける子です。

 そのような子を育てるため、身の回りのものに疑問を持てるよう、「何だと思う」、「どうしてだと思う」、「何のためだと思う」という会話をしていくことと、子が持った疑問に向き合う姿勢(疑問に対して答えを教えるのではなく、一緒に考えたり調べさせたりすること)が大切です。




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子を「かわいそう」と思っていませんか [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

 我が子を「かわいそう」と思っていませんか。

 実際には口に出してはいなくとも心の中で「かわいそう」と思っている自分がいませんか。

「体が弱くてかわいそう」、「算数が苦手でかわいそう」、「さか上がりができなくてかわいそう」、「友達ができなくてかわいそう」、「友達と話ができなくてかわいそう」、「授業中、発言できなくてかわいそう」、「先生に質問できなくてかわいそう」・・・「体が小さくてかわいそう」、「体か大きくてかわいそう」、「一人っ子でかわいそう」、「末っ子でかわいそう」、「長女(長男)でかわいそう」・・・きりがありません。


 「かわいそう」は憐みの言葉ですから、「かわいそう」と思うということは子を憐れんでいることになります。

 そうなると、「私ができることはやってあげよう」という気持ちになります。

 それではできることは何かというと・・・

 それは、手取り足取り世話をすることでしょうか?

 決して困らないように先回りして手助けすることでしょうか?

 もちろん世の中に手助けが必要な方が沢山いることは確かです。

 しかし、手助けが必要ないのに、過剰に親が手助けをしているケースも少なくありません。

 子はいつか、親から離れて独り立ちしなければなりません。

 その時のため、失敗しても大丈夫な子供のうちに、自分で考え、自分で決めて、自分で行動させることが大切です。

 そして、結果を受け止めて先に進んでいく強さを身につけなければ、親がいなくなったときに前に進めなくなります。


 親は子供がレールを踏み外すことが怖くてなりません。

 しかし、遠い未来を考えると、目の前のレールを踏み外す勇気も必要です。


 親は子供に自分を映し自分の夢を託すこともあるでしょう。

 しかし、親は子とは別の人格であり、別の人間であることを忘れてはいけません。


 子が叶えるべきは、親の夢ですか、自分の夢ですか?

 「かわいそう」と憐れむのではなく、「ひとりで出来る」と信じてあげましょう。

 親が自分の子を信じられなければ、誰がその子をも信じるのですか。

 我ができることは、子を信じ黙って見守ることなのです。


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途中式は学力を高める [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 「数学(算数)が苦手な子は、途中式を書かない」、「途中式を書かない子は、数学(算数)が苦手」なことは間違いありません。

 授業では途中式を書かせるようにしています。得意な子は書けるのですが、やはり苦手な子は書かないです。

 私が考える書かない理由は次の3つです。

 ①授業中に話を聞いていないため言われたとおりにできない。

 ②得意な子が直ぐ答えを言えるのを真似して途中式を省く。

 ③途中式の書き方がわからない。

 そこで、授業で話を聞かせる工夫をしたり、何度も言ったりしました。

 できる子の真似をしてはいけない、途中式は1か所だけ簡単にして、あとは上から下に写すだけと話します。

 すると、できる子は途中式が益々良い感じとなり、さらにできるようになるのですが、苦手な子はそれでも途中式を書けないのです。

 と言うことは、途中式を書かない理由は別にあるということです。

 実は途中式を書かないのではなく、書けないのです。

 途中式を書くためには、元の式の意味を理解していなければ書くことはできません。

 「この式はこういう意味だからこうなる」と解からないと書くことができません。

 従って、途中式を書ける子は意味を理解する練習となり、どんどん勉強ができるようになっていきます。

 意味が解っていないのに、話を聞かせて書き方を教えても改善されません。

 たかが計算かもしれませんが、数学の試験は「計算力で決まる」のです。

 計算は意味を考え途中式をかけるようにしていくと上達します。

 そして、それらは文章題や図形の問題につながるのです。


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他人に迷惑をかける人 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 いぶき学院は、頑張ろうとしている子は絶対に何とかしようとする学習塾です。

 一人ひとりに寄り添い勉強も人間性も伸ばすことを基本としています。

 学習塾として志望校合格、そして成績や学力アップを目標として学習をさせ、そこから得られる知識や思考力、さらに努力の過程から人間的成長を目指します。

 従いまして、いぶき学院には、やる気のある子が通塾しているのですが、中には、遅刻をしたり、授業中の居眠りやおしゃべりをしたり、宿題をやってこなかったりする子がいるのも事実です。

 そのようなケースでは、その子のやる気を引き出す必要があります。

 やる気にさせるのも学習塾の役目と考えていますから、やる気になっていない子に対して原因を探り、色々なアプローチにより、やる気を促します。


 学習塾の授業がつまらないと思っている子が、授業が楽しくなってくる。

 勉強が苦手な子が、得意になっていく。

 学力が伸びない子が、伸びる。

 成績が上がる。

 授業中に発言できない子が、自ら手を上げて発言する。

 解らなかったことが、解るようになる。

 先生と話しができない子が、話ができるようになる。

 学校で居場所のない子が、自分の居場所を見つける。

 目標がなかった子が、目標を見つける。

 行きたい学校がなかった子が、行きたい学校を見つける。

 勉強が嫌いだった子が、好きになる。

 勉強をする意義が解らなかった子が、勉強をする意義が解る。

 挨拶できなかった子学校、挨拶するようになる。

 元気のなかった子が、元気になる。

 暗かった子が、明るくなる。

 やりたいことが見つかる。将来の夢、将来のなりたい自分がはっきりする。


 少しずつの変化が、やる気につながり向上心が生まれてきます。

 ところが、本当にどうにもならないケースがあります。

 何をどうやっても、やる気にならないケースです。


 やる気が起きるための土台は、人への感謝の気持ちがあるかどうかであり、礼儀とけじめがあるかどうかだと私は思っています。

 学ぶ(習得する)ためには、謙虚で素直な気持ちが重要です。

 表面に現れてなくても構いません。

 心の中に、それらがあれば必ず出てくるものです。

 しかし、人は周りに生かされていることに、まったく気づかず、生活していけるのは多くの人、そして自然のおかげであることを理解していない子は、やる気になることは難しいと思います。

 親の有難み、学校の有難み、地域の人たちの有難み、色々な人がいて自分がいることに気づいていないと、感謝の気持ちは生まれません。

 小さい子ですと、難しいことは解らないと思いますが、少なくとも自分が欲することを親がやりすぎてしまうと、やってもらっていることが「有難い」ではなく「当たり前」になってしまいます。

 例えば、ものを落として、それを拾ってあげたとき「ありがとうございます」と言う子と言えない子がいます。

 「先生、筆記用具忘れた」と言う子、「先生、筆記用具を忘れたから、貸してください」と言う子がいます。

 そして、筆記用具を渡すと「ありがとうございます」と言うこと言わない子がいます。

 ここは、ご家庭でのしつけの問題が大きく関係します。

 子の要望が親によって当たり前のように解決したり、親が何でもやってあげたりすると、「有難い」のではなく、「当たり前」になります。

 そうなると感謝の気持ちが持てなくなります。

 感謝の気持ちが無いと、人の話を素直に聞けません。

 素直に聞けないと、受け入れることができません。

 受け入れられないと、学べません。


 良い親と、責任のある親は異なります。

 良い親は、子供の欲する事を何でもやってあげます。子供が困ると思うことを、先回りして片付けてしまいます。

 責任のある親は、子供が自分でできると信じ、自分でできることはやらせるようにします。そして、結果から学ばせるのです。

 人に感謝の気持ちが持てないと、わがままで自分勝手な人間になります。

 思い通りに行かないと、暴力的になることも有るでしょう。

 感謝の気持ちを持てない人は、人に迷惑をかけるようにもなります。


 勉強のみならず、人が成長するためには、礼儀とけじめ、そして感謝の気持ちが本当に大切です。

 「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない子が、増えているような気がしてなりません。


 家庭、学校、学習塾、地域が一体となり、子供達を育みたいものです。

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