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子を「かわいそう」と思っていませんか [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

 我が子を「かわいそう」と思っていませんか。

 実際には口に出してはいなくとも心の中で「かわいそう」と思っている自分がいませんか。

「体が弱くてかわいそう」、「算数が苦手でかわいそう」、「さか上がりができなくてかわいそう」、「友達ができなくてかわいそう」、「友達と話ができなくてかわいそう」、「授業中、発言できなくてかわいそう」、「先生に質問できなくてかわいそう」・・・「体が小さくてかわいそう」、「体か大きくてかわいそう」、「一人っ子でかわいそう」、「末っ子でかわいそう」、「長女(長男)でかわいそう」・・・きりがありません。


 「かわいそう」は憐みの言葉ですから、「かわいそう」と思うということは子を憐れんでいることになります。

 そうなると、「私ができることはやってあげよう」という気持ちになります。

 それではできることは何かというと・・・

 それは、手取り足取り世話をすることでしょうか?

 決して困らないように先回りして手助けすることでしょうか?

 もちろん世の中に手助けが必要な方が沢山いることは確かです。

 しかし、手助けが必要ないのに、過剰に親が手助けをしているケースも少なくありません。

 子はいつか、親から離れて独り立ちしなければなりません。

 その時のため、失敗しても大丈夫な子供のうちに、自分で考え、自分で決めて、自分で行動させることが大切です。

 そして、結果を受け止めて先に進んでいく強さを身につけなければ、親がいなくなったときに前に進めなくなります。


 親は子供がレールを踏み外すことが怖くてなりません。

 しかし、遠い未来を考えると、目の前のレールを踏み外す勇気も必要です。


 親は子供に自分を映し自分の夢を託すこともあるでしょう。

 しかし、親は子とは別の人格であり、別の人間であることを忘れてはいけません。


 子が叶えるべきは、親の夢ですか、自分の夢ですか?

 「かわいそう」と憐れむのではなく、「ひとりで出来る」と信じてあげましょう。

 親が自分の子を信じられなければ、誰がその子をも信じるのですか。

 我ができることは、子を信じ黙って見守ることなのです。


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子は親を見て成長してしまう [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

 自転車の後ろに子供を乗せたお父さんが、赤信号を渡っていくのを見て、「あっ、やっちゃった」と私は思うのです。  人それぞれ価値観は異なるので、「赤信号でも車が来なければ渡っても危険ではないから構わない」と思っているのかもしれませんが、やっぱり規則は守るしかありません。(規則を守るのは改善するため)  子は親を見て育ちます。  親を見て子は人格形成をしていきます。  特に小学生の高学年になってくると、周りを意識することが強くなり他者意識が生まれてきます。客観的に物事を捉えるようになってきて、自分の価値観も形成されていくようになります。  赤信号を渡る行為が、子の中で車が来なければ渡って良いが当たり前となることは、自己中心的な考えをもつことにもつながります。  子と一緒にお出かけをする時。約束(予約)の時間にいつも遅れていると、子は決められた時間に遅れることが当たり前となっていきます。  決められた時間に必ず間に合うようにしている親の子は、時間前にそこに行くことが当たり前になります。 「お母さん、時間過ぎてるよ」 「大丈夫、2,3分なら待ってくれるから」という会話が有ったら、すごく先々怖いです。  確かに、数分遅れたとしても大概のことは、大きな問題とはなりませんが、本当に遅れてはいけない時もありますし、遅れることで表立った問題は無いとしても、相手の気持ちを考えると大きな問題です。  忘れ物が多い子は、原因が2つ考えられます。  1つは、親も忘れ物が多い。  事前に準備をしていなかったり、席を立った後にもう一度忘れ物が無いか確認していなかったりなど、それらを見ている子は自分もそうします。  親が、自分でお手本を見せていると、子も当たり前のように真似わします。  2つ目は、親が子の忘れ物をしないように手助けをするケースです。  子が忘れ物の無いように親が準備をしてあげたり、忘れ物をチェックしたりすると、自分で忘れないようにする習慣が身につきません。  忘れ物に気を付けなくても親が準備をしてくれたり、忘れ物をしても親が持ってきてくれたりするからです。  親は子に自分のやっていることを示せばよいのです。  子は親のやっていることを見て、それが当たり前と思うようになります。  普段の生活の中で、当たり前のレベルを上げることが子にとって重要です。
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「何だ!この成績は!」学校の成績が悪い [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

 学校の成績が悪いと親は子を怒るかもしれません。

「何だ!この成績は!」
「だからあれほど言ったじゃない!」
「お母さんが中学生の時はね、こんなことはなかったわ」
「試験前に勉強していないからこんな成績になるのよ」
「ゲームばかりやっているから勉強ができないのよ」
「高いお金を出して塾に行かせてるのに、こんなんだったら塾をやめさせるわよ!」
「本当に勉強してるの!?だったらこの成績は何!」

 何に腹を立てているのでしょうか?自分の思い通りの結果が出なかったことを、子供に八つ当たりしているとしか思えません。


 自分が言われたらどんな気持ちになるでしょうか?

 私だったら親と戦います。勉強をしない。やる気をなくす。反発してわざと勉強をしない。食事をしない。口を聞かない。話を聞かない。暴れる。家出をしたくなる。無気力になる。などの方法で戦います。


 学習塾の立場としては
 まず、成績が良い悪いという基準が問題になります。英語で「4」を取ってきた時、親はどう思うでしょうか?

「良い成績だ」、「まずまず」、「こんなものだ」、「今一つ」、「物足りない」、「ダメだ」・・・

 私は試験前の様子、勉強に対する取り組み方、学習の仕上がり具合(理解度)、学習量を見て大体の結果を予想し、それと実際の結果を比べています。

 試験の得点や学校の成績ではなく、それまでの過程を重視していますので、結果に対して子供たちを怒ることは一切したことは有りません。前回のブログで書いたように結果で一喜一憂は危険なのです。

 どんなに一生懸命頑張って、どんなに仕上がりが良くて、どんなに沢山勉強しても、結果が悪い時があるのです。そんな場合子供を責めることはできません。

 「一生懸命頑張っていないで、この結果だから怒る」という方もいると思いますが、一生懸命とか頑張るという基準は人それぞれです。本人なりに頑張ったならば私は頑張ったと認めてあげたいです。

 また、その場合は結果が問題ではなく、過程が問題なのは明らかです。だから、結果で怒ってはいけないのです。


 では、過程についてですが

 やらなければいけないという気持ち、頑張ろうという気持ちがあるのなら、親は一番の基本戦術を使います。

 それは“何も言わない”です。絶対に「勉強しなさい」は言ってはいけません。言ったら終わりです。やる気が一気に消え失せてしまいます。

 親ができることは気持ちに寄り添うだけです。話を聞いてあげて勇気づけるだけです。

 「なるほど、それは確かに大変だなぁ」、「おまえならできると思うよ」、「お父さんができることがあれば協力するからな」などです。決して指図してはいけません。相談されたときは一緒に考えます。

 やらなければいけないと思っていない、頑張ろうとしていないのなら、話をしてみましょう。

 「試験前にあなたが勉強していないとお母さん心配なの。成績が悪いと志望校に合格できないから。」、「試験前にゲームをしているとお父さんは不安になるんだ。どんどん勉強が解らなくなっていくんじゃないかと思って。」などと切り出して、話を聞いてあげてください。

 ほとんどの子は勉強をしなればいけないと思っているはずです。ただ、やれないだけなのです。そのやれない理由が解れば一緒に考えていくことができます。


 中学2年生までは次の学年に学力をつないでいければ問題ありません。

 中学3年生になった時にその力を使って結果を出せればいいのです。中3の時にそれまでの学習の抜けがないことが伸びに結びつきます。

 学力の抜けは試験結果との相関関係はありますが、試験結果だけでは判断できません。できなくても構わない設問もあります。

 試験は試験前だけ頑張っても多少結果が出るものですから、試験前ではなく普段の学習が大切なのです。

 普段の学習とは授業で解らないことが無いようにしていること、授業中に理解をして家庭学習で定着させていくことです。家庭学習は沢山やればいいということは有りません。その子によって学習法が異なるので、その子に応じた学習量があると思います。


 結果を怒っても何も生まれません。

 変化はあるかもしれません。

 怒られるから勉強をするという変化です。

 しかし、その子は怒られないと行動できない人間になっていくのです。

 結果を出すために手段を選ばない人間になるかもしれません。

 悪い結果は子が頑張れなかったことが原因、良い結果は親が怒ってくれたことが原因。
 つまり、悪い結果はこの責任、良い結果は親のお手柄。

 どんな手段を使っても結果が良ければいい。

 解らなくても、適当に生きていても、いい加減に生活していても、結果が良ければ問題ない。

 何年か後にもっと恐ろしい変化があるかもしれません。

 親は結果で怒らない!



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「成績が悪い」どうしよう [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

 学校の試験。「できた」と言っていたのにできていない。点数が悪い。

 学校の成績。「頑張った」はずなのに伸びない。予想を超えて悪い。

 そんな時どうしたらいいでしょうか?

 私の経験上その後良くならず、むしろ悪くなってしまうのは・・・“動く”ことです。

 学習塾の立場から言わせていただくと、結果が出ないと教科数や時間を減らされてしまうこと、さらに退塾されてしまうことが一番残念なことです。

 「結果が出ないのだから退塾は当然ではないか」と思われる方も少なくないと思いますが、ここで問題なのは原因が解らないで“動く”ことなのです。

 原因が明らかであり、そこから考えて退塾すること、そして別の学習塾に変更することは問題有りません。

 しかし、原因が解らないのに“動く”ことは根本的な問題の解決になりません。

 原因が解らないで“動く”ことは問題の先送り以下の結果が待っているのです。

 10年以上前、いくら頑張っても結果が出ない生徒がいました。頑張っても努力しても結果がついてこない子、むしろ成績が下がっていく子の相談は年に何人も受けますが、その子の印象は強く残っています。

 中学生のその子は素直でまじめな子でした。勉強時間は同じ学校の生徒と比べて間違いなく多く、本人のやる気もないわけではありません。

 素直で真面目な子、結果を求める(求めなければならない)子にそのようなタイプが多い気がします。結果を求める子とは、目標を決めて取り組む子では無く結果を恐れる子です。

 さてその子ですが、実は2度退塾しているのです。

 入塾後、数カ月過ぎて一度退塾。その後1年ほど過ぎて再開するのですが数か月後に退塾してしまいます。

 その子は定期試験の得点が60点前後で、志望校へ合格するには学校の成績を考えると、80点以上はキープしておきたい子でした。

 頑張っても、頑張っても60点前後。

 私が最初に相談を受けた時に感じたことは、親からのプレッシャーから結果を出すことに気持ちが入り、意味が解らなくても覚えてしまう暗記型学習の典型的な子でした。

 完全に暗記型学習になってしまったその子は、目の前の得点を確保できずに親に叱られてしまうことから暗記を継続せざるを得ません。

 それがどんなに未来に対して悪い影響を及ぼしているのかを知らずに継続するのです。

 会話を重ねて信頼関係を築いていかないと、すぐにはその子の中に入り込めません。徐々に勉強に対する意識と考え方を伝えていっている最中に1度目の退塾です。結果が出ないという理由です。

 暗記型学習に浸かっている子はそこから抜け出すのに時間がかかる子の方が多く、抜け出すと劇的に伸びる子は多いです。

 そして、1年ほど経ってから再入塾。案の定さらに成績が下がっていました。その状況はかえってこちらはやりやすく、今の学習法を変えようと持ち掛けることが容易だからです。

 本人も納得して気持ちを切り替え学習し始めました。しかし、理由を考える思考方の学習法に切り替えようとしても、どこかで解ろうとせず覚えてしまう癖は抜けません。

 それでも本人も意識を変えて頑張っていました。しかし、少し光が見えてきた矢先に2度目の退塾。「成績が上がらないから」です。何といっても本人も良い方向でやる気になっていたところでしたから、あと少し辛抱してほしいという思いがあったので、親に働きかけはしたのですがすでに退塾を決めていてどうすることもできませんでした。

 退塾する際に本人と話をしました。私とその子は悔しくて涙しました。

 成績が上がらない原因は、最初は親が結果重視するため、子が結果を求め暗記型学習になっていたから。2度目の成績が上がらない原因は親の辛抱が足りなかったからです。

 それを解らずに“動く”ことが悪い方に向いていったということです。

 心配なこと不安なことがあったら、すぐ“動く”ことをせず原因を探ることが大切です。それをせずに“動く”と根本的な解決にはなりません。


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親が奪う子供の「成功体験」 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

「成功体験」これは、人間の成長にとって非常に重要です。
どんなに些細なことでも構いません。「成功体験」の積み重ねが自信につながり、自律した責任感のある人間に変わっていきます。

例えば、逆上がりが初めてできた時のことを覚えていますか。すぐにできた人は感動は無いかもしれませんが、なかなかできず放課後1人で練習していて、何かの拍子にできたりしませんでしたか。友達に付き合ってもらったり、大人の人に支えてもらったりしながら、1人でできた時の喜びがあったのではないでしょうか。
自転車の補助車を外して乗れた時とか、プールで目が開けられた時とか、ちょっとした「できた」が大切です。
学校行事も重要です。球技大会、合唱コンクール、体育祭、文化祭の催しや発表。マラソン大会で完走。美術や技術の作品の完成もそうです。課題や宿題の提出。修学旅行の下調べや見学ルートの設定。

勉強も教えて、やり方を覚えさせたら最悪です。「成功体験」になりません。自分で考えて「わかった」という体験。自分でやってみて「できた」いう体験。こんなにたくさんやった、こんなに長く勉強した、こんなにできた、こんなに解けた。そんなことが自信と学力アップにつながっていきます。

しかし、せっかく子供がやり遂げようとしていることを、親がやってあげると、子供のためにやったような気分になりますが、子供のためになりません。学校に提出した時、親が手伝ってあげて素晴らしい作品ができても、子供の自信になりませんし、困ったら親にやってもらおうという依存心が邪魔をして、いつまでたっても自律できません。
出来栄えは置いといて、その過程を評価することができるはずです。「大変だったね」、「良く頑張ったね」、「ここのところが特に良いね」、「最後まで自分の力でやり遂げた事は素晴らしい」

又、子供の責任を親が取ってしまうことも、子供の成長を妨げます。遅刻、欠席、忘れ物、宿題忘れは(親に問題があるケースもありますが)子供の責任です。親が手伝ったり、尻拭いをする必要はありません。自分自身で責任を取らせることです。その際、宿題をやっていないから、学校や塾を休むとか家庭の決め事をやらないということは認めてはいけません。そうなったのは自分の責任です。責任を全うさせないと、同じことを繰り返し、いざと言うときには学校や塾を休んだり家の手伝いをしなければいいということになります。そんなことは、入試や社会では通用しません。

子供の「成功体験」を積み重ねていくために親は毅然とした態度で接することです。見放すとか相手にしないということではありません。話を聞いてあげて、問題解決のためにどうすればいいかを考えさせ、それを受け止めてみることは親の役割です。

最後に「良い親と責任のある親は異なる」ということを付け加えておきます。
代わりにやってあげて、しかも責任まで取ってあげる「良い親」となっていては、子供の自律心と責任感は育ちません。


夏休みの自由研究 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

夏休みの自由研究

夏休みが終わるころ
「まだ終わっていない」と大騒ぎをするご家庭もあるだろう。


1.題材はどこにでもある
自由研究は、子供たちが「なぜ?」、「どうして?」と考えたことについて、
それこそ自由にレポートすればいい。

研究の題材は目の前にある。
子どもが不思議に思ったこと、興味を持ったもの何でもかまわない。

たとえば、家の中にもたくさんある。
「時計」を見て興味を持てば、「時計の仕組み」、「時計の歴史」、「時の表し方」、「大昔の人はどのように時を知ったのか」・・・
「テレビ」に興味を持てば、同様に「仕組み」、「歴史」、「番組」、「俳優や出演者」・・・
どんな事でも研究材料になる。
実験ができなくても調べる事でも十分だ。
そして、自分で考えたこと思ったことが書ければすばらしと思う。


2.題材のヒントは与えても、やってあげない
「不思議に思うこと、興味があるものはある?」
「好きなこと、好きなものはある?」
何か言ってきたら、
「どうしてそう思うの?」
さらに
「他には何かある?」
そして
「今までの中で、一番面白そうなものは何かな?」
自分で決断
「それを調べてみるんだね!」


3.誰も手伝わない
たとえ、最終的に提出できないとしても
親があれこれ考えて手伝う必要はない。

出さないと、先生に叱られるとか、成績が下がるとか
かっこいいものでないと、はずかしいとか

そういうことより、大切なことがある。

自分で考えて、自分の力で行う事だ。

親から見て、どんなに大したことがないことでも
子どもにとっては、すごく大変な思いで、一生懸命にやったことであるならば、それでいいのではないか。

親だからこそ、
手伝うのではなく、
子どもが一生懸命にやったことを、認めてあげて欲しい。わかってあげて欲しい。
友達が何と言っても、
学校の先生の評価が低くても、
親が自分の子供をわかってあげないで、他に誰がわかってあげられるのだろうか。

親ができることは、やってあげることではなく、認めることだ。

もし、提出できなければ、
子どもは提出できなかったという結果を受け入れることができる。
そして、これからどうすれば良いか考えることができる。

親が手伝って終わらせてしまえば、その場は丸く収まるかもしれない。

しかし、
やってあげてしまえば、子供の自主性、自立心、責任感、自信、失敗を糧に成長すること・・・すべてを奪ってしまうことになる。

自分でやらせること、親か゛責任を取らないことをすれば、
子供たちは自立し、責任感のある人間に育っていくだろう。
そして、自分の子供の自由研究や宿題も肩代わりはしないだろう。

子供たちの将来、未来の社会は、我々大人の接し方次第で変わっていくものだと思う。


4.最後に
題材や調べ方、実験法などはインターネットでいくらでも検索できる。
しかも、お金を払えば、やってくれる人もいる。

しかし、子供たちの素朴な疑問を大切にし、子供たちの頑張りを認めてあげる事は、
自由研究だからこそできる人間教育であると思う。

私も、題材のヒントは出しても手伝わない。
学校の宿題でわからない問題の質問は受けても、もちろん代わりにやってあげたことはない。





この子には私が必要! [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

小さいうちに子供に失敗をさせないと、後に大きな後悔を生むことになります。

お母さん、お父さん、あなたの子をいつまで子供として扱うのですか?
子どもが自律(親が子離れ)するのは何歳からですか?
40歳、30歳、25歳、20歳、18歳、16歳、15歳、14歳、13歳、12歳・・・。

子どもはたくさん失敗をします。それは、経験がないからです。
新入社員が入社したては何が何やらわからないと同様です。新入社員に失敗をしないように教えること、代わりにやってあげることは簡単ですが、それでは同じ失敗を繰り返すだけです。しかも、年月が経ち少し責任ある立場になった時に失敗して、大きな損害を出すかもしれません。
勉強も同じで、教えたり代わりに解いてあげていてはできるようになりません。
それではどうすればいいのでしょうか?

育てるのです。

人は、自ら学び成長する力を持っています。だから、放っておくのです。
親が口をはさむのは、「危険・迷惑・法律」の3つだけです。

「先を見て、周りを見て、他人の事を見て、考えて、行動する。その結果を受け止める。」それを繰り返していけば育っていくのです。

「この子は私がいないとダメ」、「私が必要」と思っていたら危険信号です。子供をダメにしているのは、その考えです。失敗させるのなら今の内です。大人になっての失敗は、取り返しがつかないものになるからです。

「かわいい子には旅をさせよ」なのです。



叱り叱られる関係 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

私は時々思い切って塾生を「叱る(怒る)」。いぶき学院中が静かになることも少なくない。

頭の中では「嫌われたらどうしよう。」とか「嫌われたのではないか。」という考えがよぎる。
誰だって嫌われたくないものだ。

しかし、おかしいものはおかしい。良くないことは良くない。先を考えて今言うべき時は言う。
嫌われても構わないと覚悟を決めて「叱る」。

「叱ることは良くない。」とか、「悪いことをした時は思いっきり叱るべき。」とか、「良い叱り方はとは?」などと色々と「叱る」ことについては意見、考えがあろうかと思う。

ここでは「叱る」ことと、親子関係について考えてみる。

親子関係として、はれ物に触るような関係は辛い。「叱る」など考えられない。
親が良かれと思ってやってあげているのに文句を言われ、決して悪いことをしているわけではないのに結果の責任を問われ、「悪かった。」と謝る。親が何をやっても言っても、全てが子にとって悪いことになる。

時には親の過保護が原因だったり、単なる子のわがままだったりする。
どちらにしても良好な関係ではない。

もともと、親と子は別の人間。相手が思っている通りのことなどできるわけがない。
無理を承知でやっててるわけだから、子を尊重し自分の意志で行動させることが大切だ。子も親の気持ちを理解してあげたいものだ。
互いに尊重しあい理解を深めることができていれば「叱る」ことができる。

関係が良好になってくると気を使わずに済む。
そして「叱る」ことができる。
叱っても、子はそれを受け入れて行動を変える。

「叱る」ことができる人間関係は信頼関係が無いと継続できない。
叱り叱られる関係は悪いものではないと私は思う。




親ができること②町塾の考え・・・見守ること [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

親ができること①の続き

又、逆に機会を与えない親もいます。放任し過ぎのケースです。そして、結果が出ない事を周りのせいにする。周りとは、本人、学習塾、学校、先生、環境、行事等。
親は口を出さずに我慢するのが仕事です。しかし、次の3つのケースは子に対して動くことになります。“危険・法律・迷惑”です。子の身体に危険な事が起きようとしている場合。法律に違反する行為をしようとしている場合、他人や社会に迷惑をかけている場合です。しかし、放任主義の親は、この場合でも放任していることがあります。危険でも構わない。法律に違反していることをやっていても注意をしない。捕まった時にだけ出頭する。謝罪する。そして、子供のせいにする。人に迷惑をかけている事を注意しない。できないのかもしれません。そういう場面でこそ、親がどうしてそれが行けないかをしっかりと説明して一緒に考えていくチャンスなのです。放任主義の親は、見守る事を怠っています。それは親の義務違反です。

黙って(構い過ぎずに)、見守る(放任しない)。ことが大切です。
会社組織でも部下に任せること(機会を与えること)と、それをチェックすること(見守り)が人を育てると思います。

勉強ができるとか、できないとかは、本人だけのせいではありません。
親が、しかるべき機会を与え、ぐっと我慢して見守ることが、本当の意味で子に機会を提供することになります。目標を考えさせる機会、そのために何をすればいいか決定する機会、実行する機会、結果の責任を取る機会(失敗すれば改善できる)。
機会を与えられた子は、勉強だけではなく人間としても成長をしていきます。
お子さんに機会を与えていますか、そして見守っていますか。

ちなみに、前述の試験対策のプリントを自分でやらせず私に解かせたお母さん。高校合格するまでいぶき学院に残りました。お母さんは、その後少し変わった気がしました。うれしかったです。

私は嫌われても構いません。その子の成績アップ、志望校合格のためにではなく、将来の活躍と幸せのために本気で接していきたいと思っています。親子に対して。それが私のできることだと思っています。


親ができること①②町塾の考え。終了

親のできること①「町塾の考え」・・・機会を与えること [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

大きくなればなるほど、親が何を言ってもその通りに動かない。
動かないどころか反発をする。

では、親ができることは何でしょうか?

ずいぶん前になりますが、学校の試験前に、似た問題が出るという「試験対策プリント」となるものが学校で渡されたことがありました。お母さんから電話がかかってきて、「その問題を解いて欲しい」とおっしゃる。
中学3年生で受験を控えているからこそ学校の成績は重要なことは分かります。
しかし、親が子供を飛び越えて依頼してくること。学校の先生も意図があって解答を渡していない事を考えると、“行き過ぎ”と判断。
とりあえず解いて、解説も詳しく書いて本人に渡しました。
その後、お母さんに電話をかけて「親が子のために動き過ぎである」とお話ししました。かなり強く言ったので、お母さんは電話の向こうですすり泣きをしている様子。このお母さんは、子のために手取り足取りお膳立てを昔からする方で、本人が成長できないでいる。しかも反抗が始まっているので言うことを聞かない。このままでは、本人がダメになる。親子関係も崩れると思い。はっきりとその旨をお伝えしました
。正直なところ学習塾の経営者としては「これで1人退塾者が出るなぁ」と覚悟しました。退塾は学習塾としては痛手です。しかし、このままでは一人の人間の将来、1つの家庭の幸せがなくなると思うと、言わずにいられませんでした。個人塾だから、言うべきことを言えるのです。

このケースは親がやり過ぎのケースで、親が子の“自分で行動する機会”を奪っていることになります。色々とお膳立てをするので一見、機会を与えているかのように考えられますが、子が自分で目標を持ち、そのためにどうすればいいか判断する機会を親が奪っているのです。しかも、その結果うまくいかないときは尻拭い。失敗を受け入れる機会も奪っているのです。これでは子は成長できません。


親ができること②「町塾の考え」に続く


「勉強しなさい」を言わない [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

今日も「勉強しなさい!」と言っていますか。
それで効果はありましたか。
益々やらなくなったり、親子喧嘩になったり。親子のコミュニケーションがうまくいかなくなったりしていませんか?

「勉強しなさい」と言いたくなるときはどんな時期ですか。
試験前や受験生になった時、悪い成績表を持ってきた時、宿題が終わっていない時などではないですか。
やらなければいけないことを一番わかっているのは本人です。
もしわかっていないときは、その結果責任は本人が負うことになります。それは大きな社会勉強です。
分かっている場合に「勉強しなさい」と言われたら、勉強する気が無くなります。言われたからやるのが嫌だからです。やりたいのにやれない事情があるからです。一番苦しんでいるのは本人です。親ができることは見守ること、わかってあげること、認めてあげることです。

「勉強しなさい」、「この成績は何?!」、「だからいつも言っているでしょ!」、「ほら、お母さんが言った通りの結果になったじゃない」、「何のために塾に行かせているの」、「少しはお姉さんを見習いなさい」

その結果、とる行動と結末は良いものとはならないでしょう。

答えを出すこと、良い点数を取ることを目的とし他学習になったり、勉強をしているふりをしたりすることもあるでしょう。答えと点数にこだわることは悪いことではありませんが、短絡的な方法を取ることになります。カンニングや丸暗記、長時間の効率の悪い学習。

学力をつけるためには、目先の正解や高得点を捨ててかかることが大切です。
だからこそ、見守ること、認めること、わかってあげることが重要と思うのです。


良く生きるためにⅩ [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

10.居場所としての塾
※良く生きるためにⅨの続き
いぶき学院は学習塾ですから、塾生達は少なくとも勉強をするために通塾しているはずです。

しかし、勉強をしたくない勉強嫌いの塾生もたくさんいると思います。でも彼らは退塾しません。それは、居心地の良さがあるから。いぶき学院が子供達の居場所になっているからだと思っています。

退塾は、親が決めるケースがほとんどです。本人が行きたくないと言い出すことは稀なケースです。本人が辞めたくなくても、辞めさせられるのです。相談という事で連絡をいただければ、我々が変えていくこと、指導理由の理解を得ることで継続となることもありますが、完全に退塾を決めて連絡をいただくと対処できません。真意を伝えられずに退塾となることもあり、残念な時、悔しい時も少なくありませんが、どんな退塾でも、退塾は塾の力のなさが原因であると考えています。

私は、子供たちが「よく生きる」ことができるように塾生にはたらき続けているつもりです。行動や言動には理由や原因があり、そこから未来を予測することができます。そして、その未来をより良く変えていくために、今まで生きてきた過去(理由、原因)を活かすのです。子供たちは日に日に成長していきます。ですから、わずかな変化が未来を大きく変えることになります。その変化を見逃さずに、まずければ修正を加え、良ければ加速させたりしていくことが大切であると思います。

親が子に対し行うことが難しいのは、自分の子を客観的に見ること、自分の価値観で子の気持ちを量らないこと、毎日見ているために子の変化に敏感になれないことが挙げられます。

他人でありながら、子供たちと会話を持てる我々がその手助けをできればと思っています。

「怒られるから静かにしなさい」? [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

ある電車の中で、子供を連れたお母さん。
子供たちが大騒ぎをしている。
同じ車両の乗客の人たちも、最初は無視していたが少し気にし始めている。
するとお母さんが、「怒られるから静かにしなさい」と子供たちに言う。

ちょっと違うんじゃない?と思う。
ちょっとまずいんじゃない?と思う。

静かにするのは、怒られるからではなくて、迷惑をかけるからです。
「一緒に乗っている人たちの迷惑になるから静かにしなさい」だと思う。

「怒られるから」では、どうして怒られるのかがわからない。理由がわからないと、怒られるかどうかがその子の行動の判断基準となってしまう。又、相手の気持ち(他人の気持ち)を考えなくなくなってしまう。

同様に「規則だから」、「きまりだから」と子供たちに言って従わせていると、理由や相手の気持ちを考えなくなってしまう。
親の言うことに従わないと悪い子になり、「嫌だ」と言うと、「とにかく親の言う通りにしなさい」と言い返す。子供の自律ははるか遠いところへ行ってしまう。

「どうして?」と言い返す子より、「はい、わかりました」と従う子の方が扱いやすいのかもしれないが、子供たちの「どうして?」を大切にしてあげたい。それが勉強にも人間関係にもすべてに通ずるものと思う。

時に親は「どうしてだと思う?」と聞いてあげて欲しい。子供の話を聞くこと、一緒に考えること、子供から学ぶことは結構多いですよ。そして、それが子の未来を育むことにつながるはずです。

決めつけは成長の敵 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

「決めつけは成長の敵」と思い、誰かそんなことを言っている人はいないか検索すると、自分のブログがヒットしました。2013年6月です。


その時は・・・

世の中に意味のないモノはない。
理由が説明できない人の行動や言動もない。
(中略)
「これはこうだ」と決めつけたり、「こればいけない」と否定する前に、「ちょっとまてよ」と立ち止まり、「これはどんな意味だろう」と考えたり、「これはいけないことかな」と理由を考えることで、自分の勉強になることが沢山あると思う。

と書きました。

自分自身が物事を決めつけること、一つの偏った見方でしか物事を見られないことが成長を妨げるということです。別の見方、考え方をすると、今まで意味の無いように見えたものが、凄く意味のあることに見えてくるという趣旨です。


今回思ったことは、親が子供を決めつけることは子供の成長を妨げるということです。

無限の可能性を秘めている子に対して、親が「この子は算数が苦手だから」と目の前で何度も言うのを聞いていたら、正常な小学生は「算数が苦手なんだ」と思うのではないでしょうか。そして、その子は果たして数学が好きになるでしょうか。

「この子は何をやっても初めはいいけど長続きしないんですよ」という大人同士の会話を聞いていた子は、「長続きしない」と思い込むかもしれませんよね。又、勉強が思うようにできないときに「わたしは長続きできない人間だから」と言い訳をしたり、自分で知らないうちに壁を作っていくかもしれません。

「この子は算数の点数は取れていないけど、一生懸命に考えることができるんですよ」
「この子はやる気になった時の集中力はすごいんです」、「きっと、長続きするようになると思っています」

子の良いところに視点を置いて、子を信じることが、自信につながり可能性を狭めないことになり、結果として子は自分の長所を伸ばし、成長ていけるのではないでしょうか。


周りを見てごらん⑧:親子の成長 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

我々ができることは志望校に合格させることではありません。人生を充実したものとするための知識と知恵をつけることです。倍率が1倍を超えていれば全員合格はできません。しかし、全員が一生懸命に勉強して人間的に成長していくことは実現できます。その結果として合格、不合格があり、それも経験として今後の人生に活きるのです。結果がわからないから人は頑張り、頑張るからその結果を受け入れられ、未来に繋がっていくのです。その繰り返しが充実した人生ではないでしょうか。

子供が成長することで、親も成長することができます。成長できる親は何もしていないようでしているものです。親ができることをまとめてみましょう。

親ができること
◇機会を与える
 体験させる・人から学ぶ(話を聞く)・本から学ぶ(文章を読む)
◇信じる
 ひとりの人間として・自分の子として・ひとりでできることを
◇見守る
 親の出る幕は、ここぞという時(危険・迷惑・法律違反)だけ
◇直そうとするな、分かろうとせよ
 言って聞かせることよりも、話を聞くようにする

 学習塾も親と同じです。普段先生たちに言っていることは、「我々がやることは、教えないことと、どうしてできないのか(できたのか)を考えること」です。機会を与え、信じて見守り、分かろうとすることなのです。

 反抗期はまさに子が成長するときであり、親も成長できるチャンスなのです。どんな時でも、子と向き合っていく(自分自身とも向き合う)ことが親子の成長につながると考えます。

周りを見てごらん⑥:夢を描く3 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

夢を実現させるためには勉強すること。勉強とは知識を得ることと、知恵をつけることだ。

「数学なんか大人になって必要がない」と言う人がいる。確かに数学の問題は解けなくても生きていけるし困らない。大切なことは、数学の勉強から得られることであり、問題を解く方法やテクニックではない。数学の問題を解くプロセスは、色々な問題を解決するために役立つ。問題で聞かれていることを確認し、そのための情報を収集して、そこからわかる事、解答を導くために必要な事を考えて、解答を出す。だから公式を丸暗記して解いても意味がない。考えて問題を解決すること、理解して公式を利用することに意味がある。

「社会なんか覚えればできる」と言う人がいる。確かに覚えていればできた時代もあったが、今は覚えても意味が分からなければ解答できないし、何と言っても将来役に立たない。地理から各地域の生活を学び、歴史から経験法則を学び、公民から世の中の仕組みを学ぶ。そして、そこからさらに深い学びが生まれ、それが将来役に立つ。

小中学生の勉強は重要である。「ゆとり教育」時代はあまりにも教科書が簡単になり過ぎて、わからなくても覚えれば解ける問題や工夫(知恵)を使わなくても解ける問題が多く、理解することや考えることが自ずと疎かになり、理解を深める学びにならない状況だった。

だから、やりたい事があってもどうやって実現すればいいかわからない。行動に移せない

夢があっても、実現するための「やり方は?」、「公式は?」となってしまう。台形の面積を求める方法は沢山あるのに、「(上底+下底)×高さ÷2」を覚えて解くことになる。夢を実現させる方法は沢山ある。その方法は状況(時期、人、環境等の条件)によって異なるから、自分で考え判断するしかない。そのために知恵が必要だ。

聞く、読む、体験することから得られる経験法則を知識として得て、それを基にどうすれば夢が実現できるかを、知恵を出して考え実行する。それが、夢を実現できる方法だと思う。


周りを見てごらん⑦

周りを見てごらん⑤:夢を描く2 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

高校に全員が行けるとは限らない時代、行きたいから頑張った。
大学に全員が行けない時代、行きたいから頑張った。
ただし、大学に入ってしまえば卒業できて、就職もできた時代だった。しかも終身雇用制で年功序列賃金制だから一生が保障された。

現在は、大学全入の時代へ突入し、高校は既に全入でほぼ義務教育。そして、勉強をしなくても大学へも入れてしまう。ただし、大学を出ても就職できるとは限らない。しかも、たとえ大企業に就職できても倒産の可能性がある時代だ。

だから、昔以上に先を見ることが必要だと思う。「一流大学から一流企業」という、幸せ方程式は当の昔に崩れ去っている。しかし、現在は多様な夢を持つことができる時代だ。どんな状況からでも、いつからでも夢を実現できる。だからこそ自分の未来を描くことが必要であり、それがあれば、それに向かって頑張ることができる。夢を描ける時代が現代なのだ。

それでは、自分の夢を描くためにはどうすればいいのだろう。そして、それに向かって頑張るためにはどうしたらいいだろう。

自分の夢を描くためには色々な価値観に出会うことだ。そのためには多くの体験をすること、多くの人の話を聞くこと、多くの本を読むことで何かに興味を持つ。そこからスタートではないか。いくら、「大学に行かないと就職できないから勉強しなさい」と言っても勉強はしない。親ができることとは、繰り返しになるが多くの機会を与えることだけなのだ。

実際に夢を描くのは子である。ただ夢は描けたけれど、「どうすればいいか分からない」では実現できない。それでは、夢を実現するためにはどうしたら良いのだろうか。

周りを見てごらん④:夢を描く1 [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

2014年11月20日のブログより
『人が人たる所以の1つとして私は、未来を描けることがあると思う。夢を持つことができ、その実現のために行動することが、我々人間にはできるのだ。行動を起こすきっかけは、「このままではまずい」という危機感からのものと、「夢を叶えよう」という願望からのものがある。私は「夢を叶えよう」いう、なりたい自分になることを目標として行動することが、より幸せになれるのではないかと思う。そして、そこにやる気になるヒントがあると考える。』

今日では子供たちが頑張るということは、「生活するために頑張る」とか「生きるために頑張る」ということよりも、「夢を叶えたいから頑張る」、「なりたいものになるために頑張る」ということの方が現実的であると思う。

やる気にならない、頑張ろうとしない子供たちは、今困っていない子供たちであり、今が楽しい子供たちでもある。

不足しているものは与えられ、困ったことがあれば助けられる。自分が何もしなくても、周りがやってくれる。自分で解決しなくても、周りが解決してくれる。周りのことを気にせず好き勝手に生きていくことが出来る。

「観察・分析・判断」、周りを見させて、考えさせて、判断させる。そして、実行させて結果を受け止める。それを、然るべき時期にやっていないと自律できなくなる。

子供たちの体は日々成長する。1年で10㎝身長が伸びる子も少なくない。同様に心も成長するはずだ。しかし、心の成長は目に見えないので、親はいつまでたっても子ども扱いをしてしまう。体が大きくなれば服も大きなものになるのと同じで、心の成長に合わせた心の服が必要なのだ。

愛するが故に手取り足取り段取りしてしまう。子供があたかも自分の分身であるが如く、子供を1人の人間として見られなくなってしまう。時には子どもの人格を決め付け、人生の決断まで親がしてしまう。「この子には、これは無理なんです」、「この子には、これは合いません」、「この子には、これが必要なんです」、「この子は、こういう子なんです」、「この子の将来は・・・」と未来も決めてしまっては、夢も何も持てやしない。そんな親は、全然子供を信じていない。一番信じてあげなければならない存在である親が子供を信じてあげられないなら、誰がその子を信じてあげるのだろう。

心の成長のために、親は子を信じることだと思う。「○○だから」という限界や言い訳に繋がることを言わず可能性を信じる。(ただし、過度な期待はしない)ひとりで問題を解決できると信じる。信じて見守ることだ。

そして、親ができることは機会(チャンス)を与えることしかない。その機会を活かすかどうかは本人次第。「やる気があるならば協力はするよ」ということだ。


周りを見てごらん⑤

親のできること [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

親のできること

それは、何も言わないことと、受け入れてあげること。

あなたのお子さんがやったことは、どれだけ勇気のいることか、どれだけ頑張ったことか考えてみてください。
大人にとっては簡単なことかもしれません。
先を考えたら小さな一歩かもしれません。
ても、本人にとっては難しいことだったかもしれません。
本人にとって大きな一歩だったかもしれません。
結果だけを見て、その後ろに隠れている本当の姿を見逃してはいませんか。
結果で判断されるの社会です。
だからこそ、親がそこを見てあげてほしいのです。
いや、親が見ないで誰が見てあげられるのですか。

それがないと、行き場のない心が姿かたちを変えて、どこかへ行ってしまいます。
時には反抗、時には沈黙引きこもり。

誰だって、頑張って結果が出ないときは悲しいんです。
悲しいから、戻る場所、落ち着く場所が必要なんです。

親ができることは、見守ることと、わかってあげることだと思うのです。

2014「いぶき教育セミナー」を開催しました [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

12月7日(日)に、「いぶき教育セミナー」を開催しました。
受験や勉強をテーマに4回開催している保護者会とは別に、年に1回だけ開催する子育てをテーマにしたセミナーです。

開催のきっかけは、当時、京北学園(京北中高、白山高、現東洋大学白山中高)の校長をされていた、川合正校長先生にご講演をいただいたことです。きゅりあんの会議室を借りて40名~50名の保護者様にお集まりいただき、非常に良い話をしていただきました。「勉強のやる気をなくさせる一番の言葉は勉強しなさいである」というテーマでありました。その後は私なりに毎年テーマを決めてお話しをさせていだだいております。

第8回を迎えるた今回は参加者が少なかったという事もあり、保護者様からのお話も聞くことができ勉強させていただきました。

子育てについて色々と考えさせられます。子供は一人ひとり異なる上に、日々の心身の成長は著しいものがあります。それに対応する親は、子が変化していることを認識して、一人の人間として向き合っていくことが必要です。

今まで着ていた服が着られなくなるように、今まで通用していた子育てが通用しなくなるのです。子は親の知らないうちに変化しているのです。その変化を良い方向に向けるために親はどうすれば良いでしょうか。
突然、「口をきかなくなった」、「反抗的なことを言うようになった」、「言う事をきかなくなった」等、子の変化に対して右往左往した経験はありませんか。つい言いすぎて喧嘩になってしまう。だからといって無関心(放置)もできない。それではどうすれば良いのでしょうか。

子を持つ親は幸せです。子は親自身を映し出してくれるからです。その映し出されたものから親が学び、自分自身を成長させてくれるからです。子供たちが苦しんだり悩んだりして成長していくと同様に、親も子育てで苦しんだり悩んだりして成長していくのです。

親は、子供を信じ見守ることしかできません。
話を聞かせるより話を聞いてあげてください。子は親の先生だからです。
親子で成長できるはずです。

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