ヘルメットを着けても、罰則を設けても、保険に入っても、結局人 [ひとりごと]
先日、自転車に乗っている時、駐車場から出てきた自動車に引っ掛けられ転倒しました。
目の前に自転車がいるので、まさか出てくるとは思いませんでしたが出てきたのです。
幸いにもスピードが出ているわけではありませんので怪我はなく、自転車に多少のダメージがあった程度で済みました。
倒れている時に「大丈夫ですか」と声が聞こえ、運転手が降りてきて声をかけたと思って振り向くと、後ろから来た通りがかりの人で、何とその車は走り去っていきました。
ぶつけてしまったことは仕方がないのですが、走り去ったことに対しては憤りを感じました。
自転車もヘルメット着用が努力義務となり、自転車保険が義務化され、自転車の運転について罰則が設けられても、「危ない!」と思うことは減りません。
電動キックボードについても同様です。
いくら、規則や罰則を設けても人が変わらなければ、根本的な解決にはなりません。
人への気遣いや思いやりが大切だと思うのです。
目の前に自転車がいるので、まさか出てくるとは思いませんでしたが出てきたのです。
幸いにもスピードが出ているわけではありませんので怪我はなく、自転車に多少のダメージがあった程度で済みました。
倒れている時に「大丈夫ですか」と声が聞こえ、運転手が降りてきて声をかけたと思って振り向くと、後ろから来た通りがかりの人で、何とその車は走り去っていきました。
ぶつけてしまったことは仕方がないのですが、走り去ったことに対しては憤りを感じました。
自転車もヘルメット着用が努力義務となり、自転車保険が義務化され、自転車の運転について罰則が設けられても、「危ない!」と思うことは減りません。
電動キックボードについても同様です。
いくら、規則や罰則を設けても人が変わらなければ、根本的な解決にはなりません。
人への気遣いや思いやりが大切だと思うのです。
2024-06-21 21:00
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いぶき学院ホームページにもブログを掲載します [ひとりごと]
今後いぶき学院のホームページにもブログを掲載していくこととします。
つきましては、現在このSSブログは、毎週金曜日に更新してまいりましたが、回数を減らしての掲載させていただきます。
引き続き、このブログは継続してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
正直な話、このブログを継続する理由は・・・本音をぶちまけるためです。
今までも、人に聞かせられないようなことも書いてまいりました。
題名が「自分らしく生きる」としたのは、「思っていること、考えていることを、全部書いちゃぇ!」と、始めたからです。
従いまして、回数は減りますが、ここには本音を書いてまいります。
引き続きよろしくお願いします。
つきましては、現在このSSブログは、毎週金曜日に更新してまいりましたが、回数を減らしての掲載させていただきます。
引き続き、このブログは継続してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
正直な話、このブログを継続する理由は・・・本音をぶちまけるためです。
今までも、人に聞かせられないようなことも書いてまいりました。
題名が「自分らしく生きる」としたのは、「思っていること、考えていることを、全部書いちゃぇ!」と、始めたからです。
従いまして、回数は減りますが、ここには本音を書いてまいります。
引き続きよろしくお願いします。
2024-01-12 01:00
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山口泰弘先生を偲ぶ会にて [ひとりごと]
2015年11月8日、広島に全国から人が集まった。
山口恭弘先生を偲ぶ会
参加しても実感がわかない。今にも山口先生から電話がかかってきそうな感じがする。ふと振り返ると山口先生がいるような気がする。
私塾ネットが誕生して、初代理事長の山口先生は関東で研修会がある度に広島からいらっしゃった。経て実の2時間ほどの研修会でも、お見えになることは少なくなく、山口先生は身近な存在だった。たいてい、気になる新聞や雑誌の記事を我々にお見せになって、熱く教育を日本の未来を語られた。
献花の際、手を合わせ遺影に向かって祈った。「先生、自分は頑張るからサボってたら怒ってくださいね。」と甘えてしまった。
山口先生ほど、多くの人を育て、多くの人に影響を与え、多くの人に感謝される学習塾の先生は他にはいないと思う。山口先生と出会い関わりを持てただけでも幸せだった。もっともっと話を聞きたかった。
8日は少し無口な自分がいた。それは、山口先生の偉大さに改めて圧倒されていたから、こんな人にはなれないよなぁと思ったからだと思う。
それでも、山口先生の言葉を思いだし自分なりに少しでも教育に貢献したいと思う。
目先のことではなく、遠い先を見据えて、広い視野に立ち、子供たちの将来と日本の未来を創造していきたい。自分らしく。
山口先生ありがとうございました。
山口恭弘先生を偲ぶ会
参加しても実感がわかない。今にも山口先生から電話がかかってきそうな感じがする。ふと振り返ると山口先生がいるような気がする。
私塾ネットが誕生して、初代理事長の山口先生は関東で研修会がある度に広島からいらっしゃった。経て実の2時間ほどの研修会でも、お見えになることは少なくなく、山口先生は身近な存在だった。たいてい、気になる新聞や雑誌の記事を我々にお見せになって、熱く教育を日本の未来を語られた。
献花の際、手を合わせ遺影に向かって祈った。「先生、自分は頑張るからサボってたら怒ってくださいね。」と甘えてしまった。
山口先生ほど、多くの人を育て、多くの人に影響を与え、多くの人に感謝される学習塾の先生は他にはいないと思う。山口先生と出会い関わりを持てただけでも幸せだった。もっともっと話を聞きたかった。
8日は少し無口な自分がいた。それは、山口先生の偉大さに改めて圧倒されていたから、こんな人にはなれないよなぁと思ったからだと思う。
それでも、山口先生の言葉を思いだし自分なりに少しでも教育に貢献したいと思う。
目先のことではなく、遠い先を見据えて、広い視野に立ち、子供たちの将来と日本の未来を創造していきたい。自分らしく。
山口先生ありがとうございました。
山口恭弘先生がご逝去 11/8に偲ぶ会(感謝の会) [ひとりごと]
山口恭弘先生が2015年8月3日に逝去されました。その報を聞いたのは1か月以上経ってからでした。
家族、親類だけで葬儀をされたそうで、我々は何も知りませんでした。9月になり「山口恭弘先生がお亡くなりになった。」ということがわかり、瞬く間に知らせが駆け巡りました。そして、11月8日に偲ぶ会という形でお別れを告げることとなったのです。
山口恭弘先生との最初の出会いは、おそらくいぶき学院がが学習塾団体に加盟した1999年だと思います。ただ、その時はお見かけする程度で会話をしていません。当時、山口先生は全塾連の理事長をされていました。
そして、2001年にその全塾連、日本私塾会、PTFと言う学習塾3団体が1つになり、全日本私塾教育ネットワーク(私塾ネット)が誕生しました。その時の初代理事長が山口先生でした。いぶき学院はPTFに加盟していて、そのまま私塾ネットの会員となりました。
3団体が1つになることは容易なことではありませんでした。会合を毎月のように繰り返し、私塾ネットの土台となる規約等を作成していきましたが、肝心なのは合併して、このまま会員として何塾が残るかと言うことでした。この3団体をまとめ上げていくのには、相当な求心力のある人物が必要であると考えた結果、山口先生ということになったのです。
塾業界(学習塾団体)に入りたての新参者の私は当時怖いもの知らずで、かなり言いたいことをはっきり会議で発言していたと記憶しています。ただ、山口先生には不思議と何も言えなかったように思います。
私塾ネットの発足に向け、組織づくりと発足式の準備に動き出している時期。いぶき学院に電話が入りました。「山口さんという方から電話が入っています」と取り次がれて驚いた。私塾ネットの理事長になる山口先生から、直々に電話が来るなんてと思い、大変緊張しました。後にも先にもあんなに緊張した電話はありません。もちろん、要件は何かわからない。ただ、山口先生から電話が来たというだけで緊張しました。「鈴木先生、私塾ネットで研修部長をやってもらえないか。」という言葉に、「はい、やらさせていただきます。」と答えるのに精一杯でした。
それから3年間、山口理事長の下で、発足式も含めて実行委員長として全国研修をやらせていただきました。文句を言われたことも、注文を付けられたことも1度もありませんでした。それは私が良い仕事をしていたのではなく、山口先生がうまく取りまとめてくれていたのです。私は山口先生に育てられた人間です。
以後、会長、名誉会長となり、会うたびに語る教育論は常に熱かったです。「鈴木先生、○○しなきゃいけん。」と何度も言われました。
私はこの15年間、山口先生の後ろ姿を見て育ってきました。いつも腰が低く偉ぶらない。しかし、志は最後まで高かったです。
以下は、私のブログで紹介した山口先生の言葉です。
2009年6月4日のブログ
※山口恭弘先生を偲ぶ会につきましては、こちらをご覧ください。
参加されたい方は・・・ 私塾ネット関東会員の方は、渡辺総務部長へ 他の方は、若竹塾へ お願いします。
家族、親類だけで葬儀をされたそうで、我々は何も知りませんでした。9月になり「山口恭弘先生がお亡くなりになった。」ということがわかり、瞬く間に知らせが駆け巡りました。そして、11月8日に偲ぶ会という形でお別れを告げることとなったのです。
山口恭弘先生との最初の出会いは、おそらくいぶき学院がが学習塾団体に加盟した1999年だと思います。ただ、その時はお見かけする程度で会話をしていません。当時、山口先生は全塾連の理事長をされていました。
そして、2001年にその全塾連、日本私塾会、PTFと言う学習塾3団体が1つになり、全日本私塾教育ネットワーク(私塾ネット)が誕生しました。その時の初代理事長が山口先生でした。いぶき学院はPTFに加盟していて、そのまま私塾ネットの会員となりました。
3団体が1つになることは容易なことではありませんでした。会合を毎月のように繰り返し、私塾ネットの土台となる規約等を作成していきましたが、肝心なのは合併して、このまま会員として何塾が残るかと言うことでした。この3団体をまとめ上げていくのには、相当な求心力のある人物が必要であると考えた結果、山口先生ということになったのです。
塾業界(学習塾団体)に入りたての新参者の私は当時怖いもの知らずで、かなり言いたいことをはっきり会議で発言していたと記憶しています。ただ、山口先生には不思議と何も言えなかったように思います。
私塾ネットの発足に向け、組織づくりと発足式の準備に動き出している時期。いぶき学院に電話が入りました。「山口さんという方から電話が入っています」と取り次がれて驚いた。私塾ネットの理事長になる山口先生から、直々に電話が来るなんてと思い、大変緊張しました。後にも先にもあんなに緊張した電話はありません。もちろん、要件は何かわからない。ただ、山口先生から電話が来たというだけで緊張しました。「鈴木先生、私塾ネットで研修部長をやってもらえないか。」という言葉に、「はい、やらさせていただきます。」と答えるのに精一杯でした。
それから3年間、山口理事長の下で、発足式も含めて実行委員長として全国研修をやらせていただきました。文句を言われたことも、注文を付けられたことも1度もありませんでした。それは私が良い仕事をしていたのではなく、山口先生がうまく取りまとめてくれていたのです。私は山口先生に育てられた人間です。
以後、会長、名誉会長となり、会うたびに語る教育論は常に熱かったです。「鈴木先生、○○しなきゃいけん。」と何度も言われました。
私はこの15年間、山口先生の後ろ姿を見て育ってきました。いつも腰が低く偉ぶらない。しかし、志は最後まで高かったです。
以下は、私のブログで紹介した山口先生の言葉です。
2009年6月4日のブログ
※山口恭弘先生を偲ぶ会につきましては、こちらをご覧ください。
参加されたい方は・・・ 私塾ネット関東会員の方は、渡辺総務部長へ 他の方は、若竹塾へ お願いします。
緊急講演決定! 都立田園調布校長の桑原先生 [ひとりごと]
3月6日の高校受験説明会(きゅりあん第2講習室、10時30分開始)に、都立田園調布高等学校校長の桑原洋先生が来ていただけることになりました。3月1日都立合格発表後すぐのお話。大変楽しみにしています。
どなたでも参加できますのでお問い合わせください。03-5743-7458いぶき学院
どなたでも参加できますのでお問い合わせください。03-5743-7458いぶき学院