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子どもたちの可能性を引き出し伸ばす [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 誰でも知っている「電池」。

 今や「電池」の無い世の中はあり得ませんよね。

 では「電池」とはいったい何でしょうか?となると、説明がなかなか難しいです。

 電流の正体は電子と言うマイナスの電気を持った粒子の流れで、電子が流れれば電流が流れたことになります。
 
 その電子が流れると、モノが動いたり、熱が出たり、光が出たりします。つまり電子が流れること、つまり移動することで、様々なエネルギーが生じるというわけです。

 ところで、電流の正体である電子ですが、電子は全ての物質の中にあります。

 勿論、我々の体にも電子は沢山ありますが、ところが我々の体にある電子が移動することは殆どありません。

 プラスチックやゴムなどの中の電子も、ほぼ移動しません。

 ところが、金属の中の電子は“自由電子”と呼ばれていて、移動できる状態にあるのです。

 そこに、電子を移動させようとする圧力(電圧)をかけると、電子は移動し始めるということです。

 カミナリは非常に高い電圧をかけられるため、本当は電子が移動できないようなものでも移動させてしまいます。

 電圧をかけることで、もともとあった電子を移動させることが出来ます。

 それが「電池」です。

 「電池」は化学変化で電子を生み出し、それを移動させていきます。電子を出すという言い方もできますが、電子を移動させるのが「電池」の役割です。


 そんなことを考えていると、ふと気づいたことが有ります。

 全てのモノに電子があり、それを移動させて新たなエネルギーに変換するのが電池の役割ならば、全ての子供たちに様々な能力と可能性が有り、それを引き出す(移動させる)のが我々の役割ではないかと思いました。

 子供たちに我々が、何かを与えるのではなく、もともと子供たちには、能力と可能性が有るのです。

 それを見出して伸ばすことが、子供たちに携わるすべての人の役割ではないでしょうか。

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努力が報われない定期テスト:問題が問題 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「学校の定期テストは努力が報われなければいけない」

 頑張って勉強をしたのに、結果が出ないということは当然あります。

 しかしながら、その原因が本人にあるのなら仕方がありませんが、作成された問題にあるのなら如何なものかと思います。

 前回、課題の提出について書きましたが、課題の提出が“成績をつけるため”のものとなっているならば、もしそうならば試験後でもOKと思うのです。

 課題が“学力をつける”ことを目的とするならば、その子のレベルに応じた課題を出すなどの工夫が必要かと思います。

 ただ、先生の負担が増えてしまうのが問題です。


 努力が報われない原因が、試験問題にある場合。問題が問題な場合があります。

 「定期試験に難問奇問は必要ない!」と私は思います。

 先生方ならば、「この問題は努力した子でもできない」ということがわかると思います。

 でも、それが出題されているのです。

 数英は学校でクラス分けがされているところが多いと思いますが、上位クラスでしか取り上げていない内容を出題することには、私は反対です。

 出来ない子はできなくていいのかな。

 出来ない子が努力しても報われなくてもいいのかな。

 頑張ってもできない問題が、何問か出題されていると、本当にやる気をなくします。

 「頑張ったら、良い点数が取れた!」と言うことから、やる気が生まれ学力もついていくと思うのです。


 「難しい問題でもできる子がいる」と言う先生がいたと聞きました。

 それは子が「点数が悪くても私よりできない子がいる」と言う言い訳とどこが違うのでしょう。

 学校や先生を批判するつもりは有りません。

 子供たちの事を考えると、“努力が報われる試験”にならないかと思うのです。

 学習塾に通う子供たちは、「学校の勉強が簡単」となり、授業のやりにくさもあるかもしれません。

 試験問題の作成も大変だと思います。

 しかし、学校の定期テストは全生徒が習ったところから出題され、努力が報われるテストであって欲しいです。

 「こんなに頑張ったのに全然できなかった」とやる気をなくす子を作りたくありません。

 本来大切なものは結果より過程であることを、教育に携わる者として私は伝えていきたいです。



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努力が報われない定期テスト:本人に問題 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 以前も書いたことがあるのですが、学校の定期テストについての私の私見です。

 「学校の定期テストは努力が報われなければいけない」

 頑張って勉強をしたのに、結果が出ないということは当然あります。

 しかしながら、その原因が本人にあるのなら仕方がありませんが、作成された問題にあるのなら如何なものかと思います。

 本人に原因があるのなら、学習法を変えるとか、早めに試験勉強に取り掛かる、スマホを親に預かってもらう、学習塾や図書館を利用して集中する等考えられます。

 学校から出される課題は、“課題”ですから提出期限があり、それまで終わらせないといけません。

 そうなると、課題で問題集を解く目的が、学力をつけるためではなく、終わらせることになることが考えられます。

 課題が提出されていないと成績が下げられることは、普通に行われていることで、試験で88点とっても課題を提出していないと成績は「3」がついたりします。

 また逆に、20点~30点の子でも課題を提出していると「3」がついたりします。

 そう考えると、課題の目的は“成績をつけるため”となってしまいます。

 もはやそこには、問題演習をすることで学力をつけるという目的は消滅したことになります。

 課題では学力は着かないのなら、早めに課題を終わらせて、“試験で目標点を取る”と言う目的の学習をしていかなければなりません。

 勉強が得意な子は課題も早く終わり、難しい問題に時間をかけられます。

 そして、本来の試験勉強をする時間も取れるので高得点と言うことになります。

 ところが、勉強が苦手な子は課題が終わらず、さらに難しい問題に苦しめられます。

 課題を期限までに仕上げることが精一杯で、試験当日を迎えて結果は散々。

 でも課題を提出することで「3」はキープできます。

 だから課題の提出を必死にすることとなり、課題が仕上がった時に、「終わった~」と本来の試験勉強にそれがならないにも関わらず終了宣言です。

 それでは高得点を取る事は難しいといわざるを得ません。

 良いサイクルを作らないと、ずっとー成績は上がりません。

 良いサイクルとは、早めに課題を終わらせる。

 早めに終わらせるために、早めに取り掛かることは大切かもしれませんが、「解こうとしても解けない」とどうにもなりません。

 解けるようになるためには、普段の授業で先生の話を聞いて考える癖をつけることです。

 それでも、全部の問題を解くことができないならば、解ける問題だけは完璧にすることです。

 難しい問題でも解く努力はしますが、無理ならば答えを映してよいと私は思います。

 難しい問題に気を取られて、そこに時間をかけて試験勉強をすると、本来わかっているはずの問題でミスをするということになりがちです。

 難しい問題を1時間かけて勉強して結局「解らない」となるよりも、基礎基本を1時間徹底して勉強してミスを減らす方が、得点的にも将来的にもプラスです。

 できる問題のミスをなくすために、“できる問題だけできれば良い”がポイントです。

 そして“出来る問題を増やす”ことを意識して普段から勉強をしていくことです。



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未来の自分へ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 共通テストが終わり、次は私立中学入試、そして高校入試と続きます。

 今、受験生は頑張るとき。頑張るべき時にやれないのは、未来の自分に対して失礼なことと思います。

 先日、宿題をやってこない上、授業中に寝ている高校受験生を思いっきり叱りました。

 「ごめんなさい」と謝るその子に「誰に謝っているのか」と聞きました。

 勿論、その子は私に謝っているのですが、私に謝って欲しいから叱ったのではありませんでした。

 腹を立てて叱ったのではなく、悔しくて、残念でたまらなくて叱ったのです。

 その子は優秀な子で学校でもトップクラスです。

 将来、国公立大学への合格できると思っている子です。

 そして、社会に出て活躍を期待して欲しいと願っています。

 しかし、やるべき事をやらず、やるべき時に出来ないようならば、それは残念で仕方がありません。

 「未来の自分に失礼だ!先生に謝ることは無い。未来の自分に謝りなさい。」人は色々な自分がいて、そのうちのひとりが、未来の自分です。

 未来の自分のことを考えて、未来の自分のために今どう生きるかが大切ではないでしょうか。


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「やればできる」はやれない子? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 自分で「やればできる」と言う子がいます。

 では、どうしてやらないのでしょうか?

 やらない理由の1つとして考えられるのは、やって結果が伴わないことを恐れているケースがあります。

 頑張ったのに上手くいかなかった場合、「やればできる」と言っていた自分を否定することになるからです。

 頑張ってダメだった自分を受け入れることが出来ないのです。だから、やらないのです。


 このような子は、言い訳が多く、出来ない理由を作る傾向があります。

 「もっと出来ない子がいる」、「平均点は超えている」とか、教科に限定して「数学は平均より上」と言うこともあります。

 やっていないのに「理科は苦手だから」、「暗記は苦手だから」と言う時もあります。
先生や親のせいにすることもあります。

 勉強だけではありません。

 友達関係でも、嫌われそうになると嫌われることが怖いので、自分から嫌う形をとることもあります。

 臆病で何事からも逃げてしまいます。

 それを察せられるのが怖いので、表面上は元気に振舞うかもしれません。


 この場合の対処法として次のようなことが考えられます。
 ① 結果で叱ったり褒めたりすることをしない。
 ② 頑張ったことを認めてあげる。
 ③ 目的を考えさせ、表面上の結果は価値のないものであることを認識させる。
 ④ 諦めないことの大切さを考えさせる。
 ⑤ 学校行事や部活動など集団行動で、頑張る経験をさせる。


 いずれにせよ、全力で取り組めない、挑戦しない人生にならないように、周りの関わり方が重要になると思います。



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挨拶が人間力を高める [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 マンションに住んでいる方の話です。コロナ前と後で大きく変わったことがあるそうです。

 それは、挨拶です。

 コロナ前は同じマンションに住んでいる人が敷地内ですれ違ったり、同じエレベーターに乗ったりした場合、「こんにちは」と挨拶をしていたそうですが、コロナが流行した際は、エレベーター内では誰も声を出さず沈黙が続いていたそうです。

 そして、コロナが収束に向かってきて、やっと少しずつ挨拶をする人が増えてきたそうですが、コロナ前には戻っていないとのことです。

 私が気になったのは「特に子供たちが挨拶をしないようになった気がする」と言うことです。2020年からの3年間は声を出さない期間でしたから、それが子供たちに影響していると考えられます。


 登山をすると知らない人でも挨拶をします。サイクリングでも挨拶をします。

 挨拶されると、自分自身を受け入れられた(存在を認識された)と気分が良くなるものです。

 「ほっといて欲しい」という人もいるかもしれませんが、殆どの場合、嫌な気持にはなりません。

 お互いに挨拶をして認識し合うことで、他者意識が生まれ、自分自身を知ることにもつながります。
 
 そして、他人への気遣い、他人との協力、人のありがたさを知り、感謝できる人間になっていくのではないでしょうか。

 家庭円満も、「おはよう」、「いってらっしゃい」、「行ってきます」、「ただいま」、「お帰りなさい」、「おやすみなさい」などの挨拶から始まると思います。

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9たす1は? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 算数や数学が解らない原因として、「10進法が解っていない」があると私は考えています。

 1+1=2、2+1=3、3+1=4、・・・

 そして、9+1=10ですが、どうして9+1=10なのでしょうか?


 これは、あくまで私の考えですが
 「9の次が10」だからと考える子、「9に1をたすと位が上がる」と考える子がいます。

 「9の次が10」と考える子は、数字を文字として認識しています。1~9まで順に覚え、その続きで11,12,13・・・と言う文字を覚えていきます。9の次は10という文字が来るということです。

 従って、大きな数字になると分からなくなったり、たしざんを1つ1つ数えたり、指を使って考えたりすることがあります。

 「9に1をたすと位が上がる」と考える子は間違ってはいませんが、問題は位が上がる理由を方法としてとらえているのか、理解しているのかです。

 方法としてとらえていると、簡単な計算も筆算を使わないとできなくなる子もいます。

 2けた+1けたの計算でも、筆算を使うようならば理解していない可能性があります。

 繰り上がり、繰り下がりが苦手と言う子もこれに該当します。

 計算が早い子でも、計算と言う作業を訓練することで早く計算出来るケースがあります。

 理解していないで訓練で出来るケースは、「計算はできるのに・・・」となり、中学、高校となるにつれて数学の本質が解らない状況になることが予想されます。


 10進法を理解している子は、「32と言うのは10が3つと、10が3つと、1が2つある」ということを理解している子です。

 9に1をたして大きなまとまり10をつくります。

 それが何個あるかを、左側に書きその位を十の位と言います。

 そう考えると、2という数は、1+1=2とか、1の次は2という考えではなく、1が2個あるという考え方になります。

 どちらにせよ「9の次は10」は危険な考え方であると言えます。

 10進法を理解するためには、小学1年生から適切な指導をしていくことが大切かと思います。

 そして、たし算とひき算の筆算をやり方として身につけないことです。

 計算の答えを楽に出す方法としての筆算であり、筆算で答えが出る理由が大切です。

 算数、数学が苦手な子にならないように、最初に気をつけたいことを考えてみました。

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勉強をするのは何のため? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 何のために勉強をするのでしょうか?

 「将来のため」、「大人になって困らないため」、「中卒だと就職できないから」、「お金を稼ぎたいから」、「良い生活をしたいから」等、将来の生活のためと言う理由もあります。

 「医者になりたいから」など、何かなりたい仕事や、やりたいことがあるという理由もあります。

 「進級したいから」とか「付属の大学に進学するため」と、上の学年や学校に進みたいという理由もあります。

 「スポーツをしたいから」と進学先の学校、そしてその先で、スポーツ等やりたいことをしたいという理由もあります。

 「良い成績を取って褒められたい」、「有名大学に入り認められたい」等、他者から称賛されたい、認められたいという理由もあります。

 ところで世の中には、勉強ができるようになったり、成績が上がったり、学力がついたり、有名と言われる学校に合格したり、成功した人が、そうならなかった人を馬鹿にするようなことがあります。

 しかし、勉強をするのは、上手く行かなかった人を馬鹿にするためではないはずです。

 勉強をすることは、人間として成長していくための手段に過ぎません。

 子供たちに期待することは、勉強をして上手く行った人は、うまく行かない人たちを助けられる人間になって欲しいということと、上手くいってもいかなくても、精一杯頑張れる人間になって欲しいということです。

 山を登るのに頂上まで行けなくてもいいじゃないですか。

 登ろうという気持ちと頑張ったことが大切だと思うのです。

 そして、途中までしか登れなくても、その経験は必ず次に活き、確実に自分自身は成長しているはずです。

 頂上にいる人は登れなかった人助け、登れなかった人はあきらめずに再度頂上を目指す。

 私は勉強をする理由のひとつを、人の役に立つためと考えています。


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OKK私立中高相談会に区立中の先生も是非参加を! [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 大井町から教育を考える会(以下OKK)主催の「私立中高相談会」が11/3に開催されます。

 OKKは21年前に、“子供たちの教育を通して地元を良くしよう”と言う思いで発足した会です。

 隣の塾が手を取り始まった会は、近所の私立中高(都立高の参加もありました)も参加し、学習塾も学校も、その垣根を越えて同じ目的の為に活動するようになりました。

 2023年度は学習塾6塾、私立中高28校、企業3社、個人会員6名で組織しています。

 目的が利益ではありませんから、21年間ギリギリの運営資金でやってまいりました。

 11/3の相談会は学習塾の先生方、企業の方、講演をしていただく方は、全てボランティアです。

 相談会を運営するのは、前述した学習塾や学校の先生を含む全ての方々で、純粋に子供たちの為にと考えて来てくれています。

 まだまだ、意識を高めていくことも必要ですし、組織を充実させることも必要ですし、この相談会事態も改善が必要です。

 しかし、自分で言うのも何ですが良い会です。

 それは、OKKの都合を押し付けないからです。

 お金を儲けようとしていないからです。


 さて、高校入試ではほとんどの中学生は私立高校を受験します。

 単願推薦か併願優遇、そして一般入試と言う形で受験をします。

 公立中学校の先生は、12/15に私立高校の単願推薦と併願優遇を希望する生徒を、各私立高校に伝えなければなりません。

 従いまして、それまでに3者面談を行いその希望を聞く必要があります。

 ところが、私立高校が決まっていない生徒は、単願推薦も併願優遇も取れなくなってしまいますから、私立高校を決めるように促す必要が出てくるのです。

 夏休みに説明会に行くことを課題として出したり、11月に個人面談を実施したりするのです。


 そこで提案です。

 今回のOKKの私立中高相談会は、品川区教育委員会の後援をいただき、品川区の全中学校にチラシが配布されることになりました。

 中学3年生にOKKの相談会に積極間的に出向くように勧めてはいかがでしょう。
出来れば担任の先生も引率されてはいかがでしょうか。

 先生は忙しいと思いますし、休みもなく働いていることは判りますが、数時間の引率で生徒が希望する私立高校が見つかれば、子供たちにとっても良いことですし、先生方にとってもスムーズにことを運べるのではないでしょうか。

 OKKの相談会は、大井町近隣の私立高校が集結しています。

 子供たちの為に行っている相談会ですから、多くの子供たち、多くの先生方の役に立ちたいと考えています。

 学校の先生、学習塾の先生、子供たちの教育を真剣に考える方は、ご連絡いただければと絵もいます。
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定期試験の目的 1限目 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 中学生と高校生、品川区立の義務教育学校(小中一貫校)では小5から、定期試験(定期考査)を定期試験を学校が行っています。

 では定期試験の目的は何でしょう。

 何のために試験をしているのでしょうか。

 私が中学生の時に考えたことは、「生徒の成績を先生がつけ基準とするため」とか、「普段勉強をしない生徒に勉強をさせるため」です。

 普段勉強をしない生徒が勉強をすることで、学力をつけることに役立っていたのかもしれません。

 学習塾サイドとしては、その目的は別として試験結果が成績に反映されて、その成績が進路に影響を与える試験であるならば、良い結果を出すことを目的として試験対策に取り組みます。

 例えば、区立の中学3年生、指定校推薦を狙う高校生、付属の大学へ内部推薦を目指す高校生などが該当します。

 区立の小学5年生と小学6年生の定期試験の目的は・・・。

 小5,6年生には、当塾でも試験対策は実施していません。

 中学1,2年生には、試験対策を実施しています。

 私立中学生は、日々の学習の目標として、それを利用してモチベーションを上げて、学力を高めていくことを目的とします。

 区立の中1,2年生の定期試験は、高い点数の答案よりも、良い内容の答案を目指しています。
ここで、高い点数を取ることに越したことはありませんが、点数(結果)を意識過ぎることで、子供たちがこじんまりまとまることを避けたいからです。

 子供たちには、無限の可能性があります。

 それにも関わらず、高い点数を取ろうとすること、良い結果を出そうとすることで、今後の学力の伸びを左右するであろう、問題の整理能力と思考力が身につかないことがあるからです。

 要するに、解っていないのに正解を出したり、解っていないのに丸暗記でその時だけの結果を出したりしても、次につながらないどころか、将来に渡ってそのような人間になってしまう事があるからです。

 全ての事象には理由がありますから、それを観察し、分析していくことを繰り返していくことが出来れば、学力も人間力もついていくのです。

 しかし、「何だ、この点数は!」と叱ってしまったら、順調に考えて問題に取り組んでいたことを台無しにしてしまいます。

 だから、ずーっと子供たちを観ているのです。

 解らないことがあった時にやり方を覚えないように、適当に答えを出し始めないように。

 「理由の解らない公式は凶器と化すのです」

 その子の未来、成長し続けるエネルギーをなくしてしまうのです。

 従って、区立中の中学2年生(8年生)までの塾生は、中学3年生になって、あるいは一生涯に渡って学力が伸び続けられることを目的として指導しています。

 試験対策の目的は、定期試験の重要性を認識し、学習習慣をつけることが目的となります。

※2限目に続きます


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有名校に合格したい? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「息子さんはどこの大学に合格されましたか」と聞かれ、「東京大学です」と言ってみたいものですが、そう簡単なものではありません。

 「東京大学です」と言ってみたいのはどうしてでしょうか?東京大学に合格したことは凄いことであり、親としては少し自慢したい気持ちがあるかもしれません。

 しかし大切なのは、そこ合格するまでの過程と、合格した後(志望して理由・合格の目的)ですよね。

 東京大学を含めて国公立大学、そして有名私立大学を卒業した人でも、社会に出て活躍できるとは限りません。

 ここで言う「社会に出て活躍」とは、なりたい自分になって(自己実現をして)人を助けたり、社会を豊かにしたりする活動です。

 当然のこと、人をだましてお金を儲ける事ではありません。

 もし、東京大学を卒業した人だけが、偉い人とか人として優れている人だとしたら、それ以外の人は何なんでしょうか?

 子供たちから、「国公立大学へ行きたい」とか、「有名私立大学へ行きたい」という高校生がいますが、何のために行くのかを聞いてみると明確に答えられず、大学名を言った時にみんなが知っている大学で有ることや、褒められたり、一目置かれたりしたいと思っている人は少なくありません。

 気持ちはわかりますが、人間の価値はそこでは決まりません。

 それらについては、学習塾にも責任はあると思います。

 有名私立中学、有名私立高校や有名大学に、学習塾の合格実績のために受験させるところがあるからです。

 本当に大切なのは、その学校に入る目的です。

 学校と言うのは、将来なりたい自分の実現のための手段でしかありません。

 どこの学校に合格したか、どこの学校を卒業したかではなく、何を目指して、どう生きていくのかが人生にとって大切なはずです。

 そのためにも受験生は、受験までどのように日々頑張っていくのかと言う、受験までの過程が今後の人生に関わってくると思います。

 私は合格したから褒めることはしません。

 頑張ったことを認め、なりたい自分を目指していることを、称えたいと思っています。


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たぶん90度 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 答えが合っていても、本当は解っていないことは少なくありません。

 小学生が問題を解いて親が答え合わせをする場合、「どうしてそうなるの?」と聞いてみてください。

 もし、理解している場合でも説明をすることは、理解度を深めることになりますし、親が話を聞いてくれたということは親子関係にも良い影響があります。

 そして解っていたら、「すごいね」とか「たいしたもんだ」とか「いいぞ」と、解っていることを認めてあげるといいでしょう。


 問題は解っていないのに正解になっている場合です。

 「どうして答えが55度なの?」と聞くと、
 「ここの角度は35度で、こっちの角はたぶん90度だから、答えは55度・・・」
 「では、どうして90度なの」
 「そう見えるから」、「これは90度になるから」、「きっと90度」と根拠のないことを言い出すことも有ります」

 対応策ですが、「どうして90度になるかと言うと・・・」と教えないでください。

 原因は、90度がわからないからではないからです。

 仮説として90度だと思ったことを、検証せずに使用してしまうことが原因です。

 つまり、解らない事でも決めつけて、行動を起こしてしまうことです。

 さらに、合っていれば良いという考えもあるかもしれません。


 こんなケースでは、たまたま正解を得ることができるから厄介になります。

 一事が万事で、算数や数学でこのような事をしていると、将来的に普段の行動でも同様の事をしかねません。

 楽観的な「何とかなるさ」ではなく、いい加減な「何とかなるさ」で生きていくことになるかもしれません。


 もし理解していないで正解をしている場合は、「一緒にどうして90度になるか考えてみよう」と、問題をはじめから整理したり、基礎基本の確認をしたりして、自分自身で気が付くことができればベストです。

 そして「よくできたね」と結果に視点を当てずに、「よく頑張ったね」とか「よく考えたね」など家庭に視点を当てることです。

 結果を褒めるのではなく、過程を受け入れてあげることです。

 そうすると、答えを出すことよりも、問題を見ることと考える事の大切さを学べるはずです。


 どうなったかよりも、どう生きたかが大切ですものね。



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わかりやすい授業・学力が伸びる授業 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 生意気かもしれませんが・・・授業の動画をインターネットで見てみると、解りにくい授業、学力が伸びない授業が沢山あります。

 中には素晴らしい先生がいて、解る授業、学力が伸びる授業をしています。

 しかし、残念ながら多くはそのような授業ではありません。

 一見わかりやすい授業でも、これでは学力が伸びないと思うものも少なくありません。

 今回この話題を取り上げたのは、ネット上の授業の動画を批判するためではなく、子供たちに勉強の指導をする上で皆さんの参考にしていただきたいからです。

 指導する人の中には保護者の方も含まれます。


 私が思いついたことを書いていきます。

 ここでは、中学2年生の一次関数を例にしてみます。


【解りにくい授業】

① 相手(子)が初めて聞く語句を使用する授業
「一次関数というのは・・・」とか、「aは変化の割合のことで・・・」と切り出した途端に子は引きます。一次関数、変化の割合、傾き、切片、増加量、変域などの語をいきなり使って話をすると、「分からない」となり、以後の説明が頭に入らないことがあります。
対策として、基本は知っている言葉を使って新しい語句の意味を説明することになりますが、ア.意味を説明してから新しい語句を伝える。例えば「このようにグラフが増加する割合を、変化の割合と言う」など。イ.新しい語句に興味を持たせるため意味を考えさせる。間違っていても構わない。例えば「変化の割合というのは何だと思う?」など。

② 体系的でない授業
端的に言うとつながりのない授業。最終的な目的もない授業。何のために一次関数の勉強をするのか、この勉強が何につながるのか。さらに、変域、変化の割合、グラフ、交点などは全て関連性があり1つのものであるにも関わらず、途切れ途切れの授業になると解りにくいです。

③ 覚えさせる授業
いきなり「一次関数とはy=ax+bの式で表される関数です。この式をしっかり覚えておきましょう」、「変化の割合とはxの増加量分のyの増加量のことを言います。確実に覚えましょう」では、とても解りやすい授業とは言えません。
対策としては、覚えさせないことです。「一次関数はy=ax+bの式で表されることは当たり前」、「変化の割合はxの増加量分のyの増加量になるのは当たり前」になれば覚える必要はありません。当たり前にするためには、一次関数の意味を理解することです。当たり前でないと覚える必要が出てくるのです。当たり前のレベルを上げることが勉強を楽にするのです。


 いきなり知らない語句を使っても大丈夫で、つながりのない話を聞いても問題なく、覚えなさいと言われてもそれを当たり前にできる子がいます。

 それは、新しいことに対して好奇心があり興味を持ち、「それは何?」と考える癖がついている子です。

 そのような子は自分で学び成長していける子です。

 そのような子を育てるため、身の回りのものに疑問を持てるよう、「何だと思う」、「どうしてだと思う」、「何のためだと思う」という会話をしていくことと、子が持った疑問に向き合う姿勢(疑問に対して答えを教えるのではなく、一緒に考えたり調べさせたりすること)が大切です。




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他人に迷惑をかける人 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 いぶき学院は、頑張ろうとしている子は絶対に何とかしようとする学習塾です。

 一人ひとりに寄り添い勉強も人間性も伸ばすことを基本としています。

 学習塾として志望校合格、そして成績や学力アップを目標として学習をさせ、そこから得られる知識や思考力、さらに努力の過程から人間的成長を目指します。

 従いまして、いぶき学院には、やる気のある子が通塾しているのですが、中には、遅刻をしたり、授業中の居眠りやおしゃべりをしたり、宿題をやってこなかったりする子がいるのも事実です。

 そのようなケースでは、その子のやる気を引き出す必要があります。

 やる気にさせるのも学習塾の役目と考えていますから、やる気になっていない子に対して原因を探り、色々なアプローチにより、やる気を促します。


 学習塾の授業がつまらないと思っている子が、授業が楽しくなってくる。

 勉強が苦手な子が、得意になっていく。

 学力が伸びない子が、伸びる。

 成績が上がる。

 授業中に発言できない子が、自ら手を上げて発言する。

 解らなかったことが、解るようになる。

 先生と話しができない子が、話ができるようになる。

 学校で居場所のない子が、自分の居場所を見つける。

 目標がなかった子が、目標を見つける。

 行きたい学校がなかった子が、行きたい学校を見つける。

 勉強が嫌いだった子が、好きになる。

 勉強をする意義が解らなかった子が、勉強をする意義が解る。

 挨拶できなかった子学校、挨拶するようになる。

 元気のなかった子が、元気になる。

 暗かった子が、明るくなる。

 やりたいことが見つかる。将来の夢、将来のなりたい自分がはっきりする。


 少しずつの変化が、やる気につながり向上心が生まれてきます。

 ところが、本当にどうにもならないケースがあります。

 何をどうやっても、やる気にならないケースです。


 やる気が起きるための土台は、人への感謝の気持ちがあるかどうかであり、礼儀とけじめがあるかどうかだと私は思っています。

 学ぶ(習得する)ためには、謙虚で素直な気持ちが重要です。

 表面に現れてなくても構いません。

 心の中に、それらがあれば必ず出てくるものです。

 しかし、人は周りに生かされていることに、まったく気づかず、生活していけるのは多くの人、そして自然のおかげであることを理解していない子は、やる気になることは難しいと思います。

 親の有難み、学校の有難み、地域の人たちの有難み、色々な人がいて自分がいることに気づいていないと、感謝の気持ちは生まれません。

 小さい子ですと、難しいことは解らないと思いますが、少なくとも自分が欲することを親がやりすぎてしまうと、やってもらっていることが「有難い」ではなく「当たり前」になってしまいます。

 例えば、ものを落として、それを拾ってあげたとき「ありがとうございます」と言う子と言えない子がいます。

 「先生、筆記用具忘れた」と言う子、「先生、筆記用具を忘れたから、貸してください」と言う子がいます。

 そして、筆記用具を渡すと「ありがとうございます」と言うこと言わない子がいます。

 ここは、ご家庭でのしつけの問題が大きく関係します。

 子の要望が親によって当たり前のように解決したり、親が何でもやってあげたりすると、「有難い」のではなく、「当たり前」になります。

 そうなると感謝の気持ちが持てなくなります。

 感謝の気持ちが無いと、人の話を素直に聞けません。

 素直に聞けないと、受け入れることができません。

 受け入れられないと、学べません。


 良い親と、責任のある親は異なります。

 良い親は、子供の欲する事を何でもやってあげます。子供が困ると思うことを、先回りして片付けてしまいます。

 責任のある親は、子供が自分でできると信じ、自分でできることはやらせるようにします。そして、結果から学ばせるのです。

 人に感謝の気持ちが持てないと、わがままで自分勝手な人間になります。

 思い通りに行かないと、暴力的になることも有るでしょう。

 感謝の気持ちを持てない人は、人に迷惑をかけるようにもなります。


 勉強のみならず、人が成長するためには、礼儀とけじめ、そして感謝の気持ちが本当に大切です。

 「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない子が、増えているような気がしてなりません。


 家庭、学校、学習塾、地域が一体となり、子供達を育みたいものです。

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みんながするから中学受験② 「ぶれないために目的を持つ」 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「娘が中学受験をしたいと言うから、受験させることにしました」

 何のためですか?

 中学受験は、子供の欲しいものを、買ってあげるというレベルではありません。

 家庭にとっての一大事のはずです。

 中学受験は入学すると、中高一貫となりますから、高校入試の制度は、私立中からの高校受験は前提となっていません。

 つまり、6年間は同じ学校に通うことになります。

 高校受験ならば、中学受験よりも、本人の意向に即した学校選びができ、本人が希望した学校を受験する色合いが濃くなります。

 高校受験は、中学受験より親の関与は少なくなり、本人のやる気が問われ、本人の自主性を育てることができます。

 高校受験の良い点も、中学受験の良い点も沢山ありますから、そこを見極めたいところです。


 少なくとも、「みんながするから中学受験」では、6年間通い続けられるか疑問ですし、今後の人生が「みんながするから」になってしまうかもしれません。

 仲間外れになりたくないとか、自分の気持ちに反しても、みんなに合わせるとか、下手をしたら人のご機嫌を伺う人間に・・・と色々考えてしまいます。

 入試で面接試験が無いとしても、志望動機と入学してから何をしたいのか、何ができるのか、それらは何の為なのかを考えさせて受験させることが重要であると思います。

 目的を持っていれば、ぶれずに堂々と「私は〇〇中学を受験します」、「私は中学受験をしません」と言えると思うのです。


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みんながするから中学受験? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 とにかく、中学受験をする小学生が多いです。

 まるで中学受験をしないことが、悪い事ではないかと思うほど、多いです。

 受験勉強を始める時期も早くなり、昔は小5年生からだったのが、小学4年生から始めることが多くなり、驚いたことがありました。

 ところが、今や小学3年生は当たり前、小学1,2年生から始める時代です。

 小学生の低学年の子は、中学受験について、どれだけ理解しているのでしょうか?

 私は、ほとんど理解していないと思っています。

 従って、中学受験は親の勧めが、大きく影響しているわけです。

 本人も、「〇〇ちゃんが受験するから」とは言うものの、〇〇ちゃんも親の意向で受験を決めたのではないでしょうか?

 では、親はどうして受験させるのかと考えると、ひょっとしたら、みんなが受験するからではないかと思ってしまいます。

 全員がそうでは無いですが、一部の親は、自分の子だけ中学受験をしない事が、許せなくなっているかもしれません。

 「〇〇さんは、子供を中学受験させないらしいわよ」と言われるのが、怖いのかもしれません。

 「うちの子は4教科よ」と、2教科受験でも問題が無いのに4教科。

 「うちの子は小学2年生から受験勉強よ」と、まるで早い時期から受験勉強をさせることが、正しいと言わんばかり。

 「うちは、学習塾代に沢山かけているのよ」と、お金をかけていることが、教育熱心と言わんばかり。

 「うちの子は、中学受験の大手〇〇塾に通わせているのよ」と、ブランド志向。

 こんなことは有りませんか?


 中学受験をさせる事が、ステータスになっていて、小さい時から、有名塾に入れて、たくさんのお金を支払うことで、教育熱心な親を演じていませんか。

 また、そのような思いが少しでもあることに、気づいていない親も、多いのではないかと思います。

 「中学受験をさせない」とは言えない状況が、親たちをそうさせている気がします。


 それは、子供にも伝わっていて、「みんなと同じじゃないと嫌」、「独りぼっちになるのは嫌」、「自分だけ違うことは嫌」と思う子が増えている気がします。

 人は、一人ひとり違うわけですから、同じじゃないのは当たり前です。

 大切なのは、その異なる人(考え方)を受け入れることです。

 色々な人がいて、社会は成り立っています。

 だから、色々な職業があり、色々な仕事をしている。

 職業には良し悪し無し!

 色々な人がいて、それで世の中が成り立っています。

 本当に自分が目指すものがあれば、周りにとやかく言われても気になりません。

 そして、他人をとやかく言うことも必要ありません。

 とやかく言う人は相手にせず、実現させたい未来に向けて進んでいければいいのです。


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試験に出るから勉強するのは本当の勉強か? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 いぶき学院はグループ指導と個別指導があり、グループ指導は高校受験に特化しています。

 小学生のクラスも中学校受験をせずに、高校受験をする子たちが集まっています

 ただ、高校受験までは3年以上あるために、高校受験に直結する内容ではなく、基礎基本のレベルをいかに高くして行けるかということが大切になります。

 そこで、こちらが色々と教えるのではなく、子供達にモノの本質を理解し、基本を習得することで何年後かにやってくる高校受験や大学受験、そして社会に出て活躍できる人間になれるように、よく見ることと考えること表現することを中心に指導しています

 そのような授業をしていると子どもたちは時に、何、なぜと疑問を持ち、その理由を考えて、それがわかってくるとさらに興味を持ち、深く物事を知りたくなって来るものです。

 もし 彼らは中学受験をするならば、「それは受験に出ないから知らなくても大丈夫だよ」とか「 それは受験に出ないから必要ないよ」と言って、興味が持ったことでも、それ以上話を進めることをやめてしまうことになります。

 ところが、中学受験をしない小学生だからこそ、中学受験にも学校の勉強にも直接関係がないことでも、興味を持つことは考えさせ、 私もそれについて話したりすることがあります。

 時には中学校、高校あるいは大学で習うことでも、小学生の子供たちが理解することもあります。

 普段の生活の中でも子どもたちは色々なものに興味を持ち、自ら調べ学び、時にはその事柄については大人より詳しくなる子も少なくありません。

 子供達を縛りつけずに解き放てば、無限の可能性があるということがお分かりになると思います。

 子どもたちの小さな疑問に対して、大人たちが「今はわからなくていいよ」、「そんなことどうでもいいよ」、「そんなことやっているヒマがあったら勉強しなさい」などと言って興味関心の芽を摘まずに、「インターネットで調べてごらん(一緒に調べよう)」、「今度の日曜日に実際に見に行こうか」と育むことをしたいものです。

 私の小さな頃のように遊びを通して学ぶということが、ままならない今の世の中であるからこそ、学校や学習塾の授業や行事、家庭での生活など、全てのことから子供達が興味関心を持ったことを大切に育ててあげることが、本当の勉強なのではないかと思います。


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受験とは(3) [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 受験について色々と考えてしまいます。

 受験は何のためにあるのでしょうか?

 なぜ、受験をするのでしょうか?

 そこに目的が無ければ、受験そのものが無意味であると思えてなりません。


 受験は受験をして合格することが目的ではなく、目的がその先にあるのです。

 志望校合格が最大の目的ではないのです。

 志望校に合格することが目的ならば、合格した後は目的が無くなることになります。

 志望校に合格することが目的ならば、不合格した時は目的が無くなり次に進めなくなります。

 つまり、志望校合格を目的とする受験は、合否の如何を問わず目的を失うことになります。

 受験が終わった後、新たな目的をつくり頑張るということもできますが、目的をつくり頑張り、1つの事が終わったら次の目的をつくり頑張るという繰り返しを、一生継続していくのでしょうか?

 人生をぶれずに進むためには、遠い未来に目的(志・夢)をつくり、それに向けて頑張ることです。


 志望校合格は目的ではなく、志を叶える手段です。

 何度失敗しても、それはその手段が上手くいかなかっただけであり、別の手段で志を叶えればいいのです。

 失敗をするたびに人は学び、改善を重ねることができ成長していきます。

 志望校合格を目的とすると、そこから学ぶことはないかもしれませんが、志望校合格を手段と考えると学ぶことができるのではないでしょうか。


 受験勉強とは、受験で合格をするという目的を叶えるための勉強ではなく、受験という手段で本当の目的(志・夢)を叶えるために、人間的な成長をするための勉強だと思うのです。

 受験勉強とは“受験のための勉強ではなく、受験で勉強(人間的成長)をする”こと



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受験とは(2) [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 受験について色々と考えてしまいます。

 受験は何のためにあるのでしょうか?

 なぜ、受験をするのでしょうか?

 そこに目的が無ければ、受験そのものが無意味であると思えてなりません。


 受験生は学校をやめることを前提に受験はしません。

 合格したら卒業を目指して行くことになります。

 従って、大切なのは受験勉強法と学校選択です。


 受験勉強については、まず基礎基本の抜けが無いこと。

 これは受験に限ったことではなく、新学年に進級するためには全学年までの内容の理解がされている必要が有ります。

 次に学習法ですが、これはこのブログでも書かせていただいていますが、「解らなければ覚えてしまえ」をしないことです。

 公式を理解せずに覚えて解く学習は受験でも進学後も役に立ちません。

 パターン学習も危険です。意味がわかり理解しているのなら役立つかもしれませんが、理解しようとせず「この問題の解き方はこう」と覚える学習、例題を見て解法を覚える学習では学力も付きませんし、進学した後も覚える学習が続く恐れがあります。


 学校選択については、自分の目的を達成できる学校であること、校風、コース(学部、学科)、先生方の指導、進学先、施設、カリキュラム、通学時間、部活動、制服、行事、修学旅行、留学・・・、そして自分に合った学力。

 卒業まで通いきれて、目的が達成できることです。


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受験とは(1) [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 受験について色々と考えてしまいます。

 受験は何のためにあるのでしょうか?

 なぜ、受験をするのでしょうか?

 そこに目的が無ければ、受験そのものが無意味であると思えてなりません。

 入学してもその学校をやめてしまう人もいます。

 やめる理由は、心身の問題、友人関係、学力の問題等様々です。

 どうしようもない状況となり、退学又は転校をせざるを得ないのならいざ知らず、自分で決めて頑張って勉強をして合格した学校であるならば、多少辛い事や苦しいことがあっても乗り越えたいところです。

 しかし、私立中学も高校も大学も、自分自身の努力不足が原因でやめる人がいるのです。

 私立中学受験は不思議で、私立中に不合格となった子が区立中でけっこう頑張れます。

 そして、充実した中学生活を送り高校受験へと向かえます。

 ところが、第一志望に合格した子でもやる気をなくす子もいますし、第二、第三志望に合格して進学する子が、第一志望に不合格となったことを引きずる子もいます。

 その反面、第一志望ではなく、第二、第三志望項に進学しても生き生きとしている子もいます。
どこに差があるのでしょうか?

 私は私立中学受験の目的があったかどうか、何のために中学受験をするのか、その学校で何を実現したいのかが明確でなかったことが原因ではないかと思います。

 合格することが目的で有ることも考えられます。

 合格することが目的であるならば、合格後は目的を失うわけですから、やる気が無くなるのは当然です。

 合格することが目的だったため、第二、第三志望に進学してもる気にはなりません。

 区立中に進学することになると、高校受験と言う明確な目的が新たにできるために、そちらにシフトすることでやる気の継続が起きると考えられます。ただ、高校受験でも合格を目的とすると同様の事が起きて、合格してもやる気が起きずに、長続きしないかもしれません。

 そうならないために、目的の継続が必要です。

 目的を継続するということは、目的を達成したら、すぐに新しい目的を持つという考えもありますが、それでは人生と言う道をふらふら漂うことになります。

 中学(高校)受験に合格したら大学受験。
 大学受験に合格したら就職。
 就職したら出世。
 出世したら・・・

 「そもそも、私の人生は何のため?」


 人生の目的(志)があって、今目の前にあることの目的があるのです。

 「私は多くの人が健康に暮らせる世の中をつくりたい」という志を達成するために、医者、看護師、薬剤師、カウンセラー、整体師、健康器具メーカー・・・という道があり、それを目指すという目的のため、〇〇大学の○○研究室に入りたい。だから、私立A中学高等学校でより高いレベルの勉強をしたい。

 もし、A校に不合格となっても、目的(志)は別の方法で充分達成できるので、やる気は損なわれません。


 私立中学を受験した方がいいかどうかは、何のために受験をするのか、そこで何をしたいのかがまず大切ではないでしょうか。


私ならば自分の子は次の理由なら受験させません。

「友達もするから」、「周りの子もするから」…みんながするという理由は目的とはならない。
「私立中学受験をしないと教育熱心な親ではないと思われる」…自分の子の将来を考え決めた事ならば何と言われようと構わない。むしろ、子の特性や将来、家庭の事情、合う学校があるかどうか等を考慮して決断したならば、真の教育熱心な親であると考える。


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