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勉強とは問題演習をすることと勘違いしていませんか? [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 学習において、問題演習は大切であり、問題演習をすることで学力をつけることができます。

 しかし、「勉強=問題演習」ではありません。

 問題演習は勉強の一部であり、問題演習ではない勉強もあるからです。

 「さあ、勉強するぞ」となった時、問題集を開いて、例題の解き方を暗記して(覚えて)問題を解くことが最悪の勉強であると思います。

 少しでも解っているならば未だしも、何も解っていないのに問題演習をしても、ただやり方や答えを覚えるだけの作業になってしまいます。


 私の授業では、問題演習をしていて塾生が行き詰っている場合は、2通りの手段を用います。

とりあえず問題演習を止めさせて、基礎基本の確認をするか、発想(見方)を変えさせるためヒントを出します。

 決してやり方は教えません。

 問題演習をさせる時は、サクサク解ける状況(学力)になってからが望ましいと考えています。


 自学していて解らなければ、基本事項の確認をすることだと思います。

 誰かに聞いたり、解説を見たりしても構いませんが、その際は必ず「どうして」と考えるようにすることです。

 「この時はこうやるんだ」と覚えてはいけません。

 問題演習で学力がつくのは考えるからであり、やり方を覚えるからではありません。 

 従って、基礎基本が身に付いていない状況で全くわからない場合は、問題演習をしても考えることができず、学力をつけることはできないと思います。

 沢山問題を解くことで少しずつ解ってくることも有りますが、非効率で有り本当にわかるようになるかも疑問です。

 学力は考えることでつくものです。


 従って、国語なら文章を読んで何が書いてあるのか、何を筆者が言いたいのか、登場人物はどんな気持ちなのかを考える。

 理科や社会なら、ノートまとめをすることは良いと思います。

 ノートまとめは教科書や学校のノート、参考書などを見て自分の言葉で1つにまとめていくことが肝心で、その際に考える事になります。


 私は数学の公式を覚えさせずに、考えさせて理解させて、公式を当たり前のことに出来るようにしています。

 それにより理解が深まるとともに、公式を覚えていないので忘れることもなく、応用も利くことになります。


 問題演習が勉強であると捉えると、問題演習の目的が本来は学力をつける事であるにもかかわらず、問題を解く(こなす)ことにすり替えられてしまうことが起きます。

 我々は人として成長していきますが、それは見て考えて行動していくからです。

 そして、その中で多くの体験をすることでさらに成長していくことができます。

 学力をつけることも、それと同様で、見て考えて勉強をしていく。

 そして、問題演習と言う体験を得てさらにレベルアップしていくことができると思います。

 問題演習は勉強における多くの体験を与えてくれるものです。

 うまく、問題演習を活用していきたいものです 。


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OKKは異質な集まり [◆学習塾 「活動と学習塾団体」]

 大井町から教育を考える会(OKK)は6塾、28校、3企業団体、5個人の集まりです。

 9/5に秋期定例会を開催、11/3の「教育講演会&私立中高合同相談会」の実行委員会も行いました。

 学習塾団体の活動に携わっている私から見て、OKKは異質な集まりであることは間違いありません。


 学習塾と私立中高の関係は、学習塾側から私立中高に生徒を送り込む関係です。

 私立中高は学習塾に学校の情報を知らせます。

 知らせる方法は、学習塾対象の学校説明会(塾説)、DM、学習塾訪問などです。

 我々、学習塾はそれらから情報を得て進路指導に活用したり、いただいた資料を塾生に配ったりします。

 特に進路指導では、その子に合った私立中高を勧めることになります。

 子供たちは学校のことを良く知りませんから、我々の情報は役に立ち「塾の先生に勧められた」ということで受験校を決定する子は少なくありません。

 逆に「この学校はやめた方がいいよ」と伝えると、子供たちは、その学校を受験することはまずありません。

 従って、私立中高は学習塾に「気に入られよう」とまでは無いと思いますが、少なくともご機嫌を損ねたくはないと思います。

 また、学習塾も私立中高に塾生を合格させたいと思えば、入試情報や推薦の基準などの情報を得たいので、私立中高との関係を大切にしたいものです。

 学習塾団体の多くは、私立中高を賛助会員として登録し関係を築いていこうとしています。

 そして、イベント開催時の懇親会で、学習塾と私立中高が飲食をします。

 学習塾主催の新年会や忘年会へ、多くの私立中高が参加することも有ります。

 しかし、近年は学習塾団体主催行事への私立中高の参加が減少傾向です。

 原因は定かではありませんが、関係性の変化、コロナの影響で懇親会が中断されたこと、働き方改革で学校の先生方の休日出勤が難しくなったことなどが考えられます。


 ところが、OKKでは会員(※1)の私立中高は減少傾向ではなく、少しずつ増加しています。

 そして、大井町近隣の私立中学でOKKの会員になっていない学校があまりないところまで来ました。

 毎年11/3に開催する合同相談会も全校参加となり、その後の慰労会(※2)は、ほとんどの学校が参加し、大変盛り上がる会となります。

 慰労会だけではなく、皆さんと飲食をしますが本当に楽しく感じる会(※3)です。


 それは、損得勘定、私利私欲が全くないからだと思います。

 学習塾の塾長、私立中高の校長先生、教頭先生、校長補佐の先生、広報部長(主任)、会社の社長さんも、役職のない先生方も気兼ねなく会話できます。

 ずっとずっと一緒にいられる仲間です。


 色々と話を聞いていると、学習塾も私立中高も課題が多くあると感じます。

 私は仲間と共に、OKKを発展させ子供たちの未来のために貢献できればと考えています。

 ※1:賛助会員ではなく、共に会を構成していく仲間であるため、学習塾も私立中高も同等の会員としている。
 ※2:懇親会というネーミングにしていないのは、合同相談会で頑張った仲間を慰労する会だからです。
 ※3:Kさんの小屋に集まったり、F先生がお店を探して予約をしてくれたりしています。



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覚える事は勉強ではない!? [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 人の記憶をつかさどるのは、「海馬」と呼ばれている脳の部位です。

 新しい記憶は、まず海馬に保存されますが、新しく覚えたことは、普段から使っていないと、海馬は忘れても良い記憶と認識して忘れてしまう様です。

 海馬は短期記憶に関係があり、長期記憶はどうかと言うと、よく使われる情報で海馬が大切と認識した場合に、海馬から大脳皮質に移動して長期記憶となるようです。

 海馬は長期記憶として定着する前の情報を、まず保管する場所であり、そこで忘れてもいい情報か大切な情報かを選別するのです。


 従って、意味の無いこと、理由が解らないことを覚えても記憶に残りません。

 つまり、“丸暗記”は長期記憶にならないのです。

 試験の前日に“丸暗記”をし、試験で得点を取っても試験が終わると“丸暗記”した内容を忘れてしまうのです。

 では、長期記憶として保管するにはどうしたらいいでしょう。

 私は、①覚えないこと、②関連付けること、③理解することだと考えます。

 覚えなければ忘れないので覚えようとせず、意味を考え他の事に関連付け理解することだと思います。

 以前、「三角形の面積を求める時、底辺×高さをしてから、2で割るんですか?」と質問されたことが有ります。

 しかし、三角形は平行四辺形の半分であることを理解していれば、2で割ることは当たり前となるはずです。

 さらに言えば、“丸暗記”をしていると、三角形や四角形の面積の公式を全て覚えなければいけませんが、面積は底辺と高さで決まることを理解できれば、公式を覚える事は不要となります。

 考えれば解ることは沢山あるにも関わらず、意味を考えることや、理解することをしないと、“丸暗記”に頼ることになり、「沢山勉強しても忘れる」、「前にやったことは覚えていない」、「忘れてしまうから試験勉強は直前にやらない」となるのです。

 友達にやり方を教わったり、問題集の解説のやり方を覚えたりする勉強ではなく、友達からでも解説からで得たやり方の理由を考える癖をつけたいものです。


 とは言え、覚えなければならないことは多くありますので、何かに関連づけて考えることで、海馬を大切な記憶と言う認識に変える事ができれば長期記憶になるはずです。

 1つ理解を多くの理解につなぐことができれば、全てか結びつき関連付けがでます。

 そして、理解することで、「当たり前」を増やすことができれば、勉強は楽になり学力がついていくでしょう。


 学力をつけようとするならば、「覚えよう」という学習ではなく、「どうして、なぜ」と意味や理由を考える学習をすることです。


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頑張ると良いことが一杯ある [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

 パリオリンピックが開幕、夏の甲子園も開幕し感動の毎日です。

 スポーツ好きの私にとっては夢みたいな期間で、できれば毎年オリンピックがあれば嬉しいと思ってしまいます。

 しかし、オリンピックは4年に1度であり、選手たちが次のオリンピックを目指すには、4年間頑張ることになります。

 4年後の身体能力は明らかに今とは異なりますから、アスリートにとって4年間は年齢との戦いでもあり、10代の選手にとっては、次はさらにレベルアップと考えられますが、選手によってはどうしても4年後となると体力の衰えが問題となります。

 いずれにせよ、次のオリンピックまで4年間と考えると、ここで結果を残したい、金メダルを取りたいとなります。

 甲子園の高校野球も春と夏はあるにせよ、球児にとっては一生に1度の晴れ舞台で、特に夏の甲子園は負ければ終わりの試合が続きます。

 オリンピック、次は4年後であり、出場できるかどうかわからない。

 夏の甲子園は負ければ終わりで、一生に1度だけ。

 やり直しがきかない試合だからこそ、我々が知らないところで、我々が想像すらできない試練に耐え選手たちは本番を迎えます。

 だからこそ、見るものが感動する試合となるのだと思います。


 多くの選手たちが精一杯努力しても、優勝できるのは1人(1チーム)だけで、しかも微妙な判定に泣かされたり、きわどい判定の末に負けてしまったりする事もあります。

 どんなに強い選手(チーム)でも絶対に優勝できる保証はありません。

 試合結果は目指していたものにならないことが、殆どではないでしょうか。

 でも、頑張れば結果はさて置き、自分自身の成長につながることは間違いありません。

 我々も見ていて、感動したり、勇気づけられたりしますし、多くの学びを得ることも出来ます。

 これもアスリート達のおかげである思います。

 そして、その上に良い結果がついてくれば、なおさら嬉しいです。結果は誰も分かりません。

 だからこそ頑張れるのだと思います。そして頑張ると、自己成長に結びつくのです。

 そう考えると、結果はおまけみたいなものかもしれません。どんなことでも精一杯頑張る。

 そして、結果を受け入れ成長する。その繰り返しが人を成長させることは間違いありません。

 結果を求めず、結果を恐れず、やり直しがきかない人生に勝負を挑み続けていきたいものです。

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終わらせることが目的?「夏休みの宿題」 [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 夏休みもお盆を迎えると半分が過ぎます。子供たちにとっては、夏休みの宿題の進み具合が気になる時期となります。

 ところで、そもそも夏休みの宿題は何故あるのでしょうか?

 学力を伸ばすため…これは正しいと思います。

 しかし、量と質がそれに見合わないと、その目的は果たせません。

 勉強をさせるため…それが何に結びつくかが問題です。

 遊ばせないため…「ゲームばかりやっているから、それよりはマシ」という考えありますが、それな
らば勉強以外のことで良いと思います。色々な遊びや体験からの学びは夏休みしかできません。

 親を安心させるため…子供が勉強しているのを見て安心する人もいるでしょう。しかし、それは親のために勉強をさせているだけで、子供にとっては辛いだけです。

 成績に加点するため。(成績から減点するため)…学校の先生のお考えがあるので、それを尊重したいのですが、実際にそのように言われて宿題をやる子供達を見ていて、私はそこに意味を見出すことが難しいです。

 形式上、慣例、通例…考え直した方が良いと思います。

 好き勝手な事を書いてしまいましたが、少なくとも夏休みの宿題が、終わらせることが目的となっているのなら改善する必要があると思います。

 本来、宿題は子供たちのためであるにもかかわらず、先生のためや親のためになっているとしたら、おかしなことです。

 夏休みに1学期の学習を復習して、定着させることを目的とするならばOKと思います。
 
 特に、学習塾に通わない子にとっては、復習をする機会が必要です。

 従って、全く宿題を出さないということではなく、必要な宿題、子供たちのためになる宿題を出す。

 そして、やらなくてもお咎めが無いのが良いかと思うのです。

 夏休みの間に勉強すると役に立つことを提案して、それを子供たちがやり、やらなくても先生は叱らないし成績にも入れない。

 理科の自由研究、読書感想文、税金の作文などは嫌な子も多いかもしれません。

 しかし、それらはワクワクすることかもしれませんし、やり終わったら達成感があるものです。

 強制的という感じではなく、自主的にやる雰囲気をつくることができれば良いなぁと思います。

 そして、先生が頑張って良い宿題を出し、良い雰囲気づくりをしても、子供たちが宿題をため込むと、終わらせることが目的になってしまいます。

 本当に子供たちのためになる、夏休みの宿題で有って欲しいものです。

 残りの期間で自分のための宿題となるように、今からでも余裕を持って宿題ができれば良いと思います。


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努力が報われない定期テスト:問題が問題 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「学校の定期テストは努力が報われなければいけない」

 頑張って勉強をしたのに、結果が出ないということは当然あります。

 しかしながら、その原因が本人にあるのなら仕方がありませんが、作成された問題にあるのなら如何なものかと思います。

 前回、課題の提出について書きましたが、課題の提出が“成績をつけるため”のものとなっているならば、もしそうならば試験後でもOKと思うのです。

 課題が“学力をつける”ことを目的とするならば、その子のレベルに応じた課題を出すなどの工夫が必要かと思います。

 ただ、先生の負担が増えてしまうのが問題です。


 努力が報われない原因が、試験問題にある場合。問題が問題な場合があります。

 「定期試験に難問奇問は必要ない!」と私は思います。

 先生方ならば、「この問題は努力した子でもできない」ということがわかると思います。

 でも、それが出題されているのです。

 数英は学校でクラス分けがされているところが多いと思いますが、上位クラスでしか取り上げていない内容を出題することには、私は反対です。

 出来ない子はできなくていいのかな。

 出来ない子が努力しても報われなくてもいいのかな。

 頑張ってもできない問題が、何問か出題されていると、本当にやる気をなくします。

 「頑張ったら、良い点数が取れた!」と言うことから、やる気が生まれ学力もついていくと思うのです。


 「難しい問題でもできる子がいる」と言う先生がいたと聞きました。

 それは子が「点数が悪くても私よりできない子がいる」と言う言い訳とどこが違うのでしょう。

 学校や先生を批判するつもりは有りません。

 子供たちの事を考えると、“努力が報われる試験”にならないかと思うのです。

 学習塾に通う子供たちは、「学校の勉強が簡単」となり、授業のやりにくさもあるかもしれません。

 試験問題の作成も大変だと思います。

 しかし、学校の定期テストは全生徒が習ったところから出題され、努力が報われるテストであって欲しいです。

 「こんなに頑張ったのに全然できなかった」とやる気をなくす子を作りたくありません。

 本来大切なものは結果より過程であることを、教育に携わる者として私は伝えていきたいです。



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