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学力をつけることと成績を上げることは違う [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 以前に「学力がついても合格できない」と言うことをお話しましたが、学力をつけて、つけた学力を受験で発揮することが合格に結びつきます。どんなに学力がついても受け方が悪いと合格できません。

 しかし、学力をつけないと、受験校の選択肢が少なくなり将来の可能性を狭めることになります。従って、学力をつけることは大前提です。


 今回は「学力をつけることと成績を上げることは違う」ということをお話しします。

 日々の学習の目的は何か考えてみてください。次のうち1番近いものは何ですか?
 ア.学校の試験の得点を上げること。
 イ.学校の成績(内申点)を上げること。 
 ウ.志望校に合格すること。
 エ.志望校に入って有意義な時を過ごすこと。
 オ.その他

 学力がつかない学習は、目の前の“正解”を得るための学習です。


 例えば次のような問題

 「ある小学校で、5年生の女子は90人で、それは5年生全体45%です。5年生の男子の人数は何人ですか。」

 “正解”を得るために問題の理解(=問題を考えること→問題の整理)をする子はOKです。

 しかし、適当に書いてある数字を使って計算を始める子は要注意です。

 そして、解答を見たり誰かに教わったりすることも良くありません。

 解答を知って、どうしてそうなるのかを理解しようとする子は良いのですが、たまたま正解したり、教えてもらったりして正解にたどり着いて満足している子は大ピンチです。
 
 学力がつくのは、「問題を考えることでしかつかない」という原則を忘れないでください。

 正解が得られても、適当にやって偶然に合っていたとしたら本当の学力ではありません。

 親に聞いて、本当は子どもがやらなければいけない部分、つまり問題を考えることを親が肩代わりしてしまうと学力は付きません。

 「全体の45%が女子だから、学年全体は90人÷0.45=200人、200人から女子の人数90人を引いた残りが男子なので、200人-90人=110人。だから答えは110人だよ。」と解いてあげても、子供の考える機会を奪っているだけです。


 子供には考える力があると信じること、“正解”にならなくても構わないという気持ちを持つことしか、我々(親と先生)にはできません。

 子供が目先の結果を追い求める原因の多くは、大人が結果を求めるからだと私は思います。

 年功序列賃金制、終身雇用制が過去のものと言っていい現代では、本当に求められているのは、問題解決能力であり“正解”ではなく、多くの失敗から学び、より高みを目指せる人間です。

 私は、子供たちに別の世界を見せてあげたいと思っています。

 そして、多くの人たちの力になって欲しい、それが豊かな世界に結びつくはずです。

 成績を上げること、志望校に合格することは目的ではなく手段です。

 本当の目的を達成するために、成績が上がること、学力が付くこと、志望校に合格することを目指していきたいです。

 そのために、答えを出そうとしないことが大切です。

 “正解”を得ることを目的にしないからこそ、“正解”に辿り着けるのです。

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