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基礎基本で決まる最高到達点 [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 砂遊びで高い山をつくるためにはどうしたらよいでしょうか?
 
 すぐ崩れ落ちる砂を高く積み上げるには、土台を広くして固めることが必要です。

 それと同じように、高い学力をつけるためには基礎基本の土台を固めることが重要です。
 
 基礎基本とは全てに通ずるもので、そこが身についていれば自ずと学力レベルが高くなっていきます。


 算数の問題には計算と文章題が有ります。

 計算と文章題の学習時間の比率ですが、計算よりも文章題が難しいので文章題に多く時間をかけがちですが、計算に多くの時間をかける方が文章題もできるようになります。

 中学生の方程式も同様に計算にウエイトを置いて文章題は短めにするのが基本です。

 中3生も式の展開に時間をかけて練習すると因数分解が楽にできるようになります。

「計算はできるが文章題ができない」理由のほとんどは計算ができないからです。

 計算に時間をかけるというのは、訓練(トレーニング)としての練習ではなく、計算式の意味を理解した上で計算をしていくことです。

 6÷2が3になるのは、「6個を2つに分けたら3個ずつ」という意味と、「6個の中には2個が3つある」と言う意味が有ります。

 それを理解した上で計算練習をすることで文章題もできるようになります。又、計算力が不十分だと、式を作ることが出来ても計算できないということにもなります。

 式が作れたら絶対に計算できるようになることが重要です。


 基礎基本は全てに通じ、その基礎基本の理解度で最高到達点が決まります。

 図形の面積では、長方形の面積=縦×横、正方形=一辺×一辺、平行四辺形=底辺×高さ、三角形=底辺×高さ÷2・・・台形、ひし形とそれぞれに公式と呼ばれるものがあります。

 しかし、面積の基礎基本は「1辺が1㎝の正方形の面積を1c㎡と言う」という定義です。

 定義から全てが解るはずです。

 さらに、「面積は底辺と高さで決まる」ことが理解できると、底辺と高さから計算できるとともに、他の図形と比べて面積を求めることもできます。

 面積について理解できていないのにいくら公式を覚えても、簡単な問題だけしか解けない上に、公式を忘れると何も解けないのです。


 基礎基本は簡単に思えるかもしれませんが、全てに通ずるもので奥が深いものです。

 基礎基本を大切にし、より高いレベルを目指したいものです。


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授業はバラエティー番組 [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 「授業がつまらない」と言う子がいます。

 何故つまらないのでしょうか。


 私が学習塾の講師を始めたのは40年ほど前でした。

 当時は塾が乱立し、新しい教室を出して新聞折り込みを入れれば、すぐに満員となる時代でした。

 共働きが増え、塾が託児所替わりになっていた感じです。

 私が初めて勤めた塾は、学校の成績が平均か、それよりも少し下の子供たちが多く集まっていました。

 ですから、嫌々塾に通っている子が多く、授業中に突然歌いながら踊り出す子、目の前で友達と「暇だからしりとりしよう」と、しりとりを始める子もいました。

 本当に勉強をしようと通う子が半分いたとは思えません。

 1クラスは10人前後の少人数ですが、やる気もなく、集中力もなく、話も聞かず、おしゃべりをしている子が多くいました。

 どんなに時間をかけて授業の予習をしてきても、話を聞いてくれないわけですから本当に空しい気持ちになりました。

 いくら、一生懸命に授業をしても、熱く語っても、“無視”をされ、我慢できなく注意しても、叱っても、大声で怒鳴っても、“無視”される。

 毎週水曜日に有った中2の授業は特に辛く、水曜日は決まって朝起きると胃が痛くなりました。

 月日が経ち、どうにかならないものかと色々考えて、行き着いたことが有ります。

 それは、“授業が楽しければ話を聞くはずだ”と言うことです。

 私は理科と社会の授業を主に担当していましたから、必ず1回の授業の中に興味がわくような話を入れるようにしました。

 学校の教科書を中心に指導していましたが、教科書に載っていないことで、成績を上げるという目的ではなく興味を持ってもらい話を聞かせることが目的です。

 どんなに集中力の無い子でも、好きなことならば集中できるはずと考えたからです。

 例えば、テレビや漫画。今ならばゲームやYouTubeもそれにあたるでしょう。

 従って、子供に集中力が無いのではなく、面白くないから、興味が無いから集中できないと考えました。

 実際に大きな効果があったとは思いませんが、今までは話を聞かない子でも、面白い歴史のエピソードとかを調べて話をすると以前より聞いてくれるようになりました。


 その頃は私の芸風が未だ確立されていない時期でしたから、まだまだ授業も面白くなかったはずです。

 その後、解りやすい授業、学力が伸びる授業を目指していきますが、そのためには子供達を授業に引き込むことがポイントになって行きました。

 授業に引き込むためには、“楽しくなければ授業ではない”という考えを持ち今に至ります。

 凄く参考になったのは、芸人さんの語りであり、引き込むという意味ではテレビショッピングも参考になりました。

 たけしさんや鶴瓶から多くの事を学びました。

 授業は、1つのバラエティー番組であり、そこには用意周到に準備された仕掛けが有り、生放送ですから起きるハプニングを逆に笑いに変えたり、興味を引く方向に結び付けたりしていきます。

 授業での全ての行動と言動には目的と理由があり、計算されたものでなければなりません。

 それが、授業と言うバラエティー番組を創っていきます。

 楽しい授業、引き込まれる授業には他にも色々な要素(手法・考え方)があり、私もまだまだ修行中です。


 とりあえず言えることは、“楽しくなければ授業ではない”ということです。


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考査?試験?検査? [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 「来週の数学の時間にテストをするぞ」

 テストの目的は何でしょうか?

ア.テストで自分の力を発揮するために練習。
イ.本番のテストの得点を予想して志望校を選択する材料。
ウ.テスト結果が合格のための努力目標。
エ.学習をさせることでの学力増強。

 どれも正解ですね。

 予め出題されるところ(出題範囲)を提示する場合は、勉強をさせて学力をつけたいという思惑があります。

 従って、学校の定期テストは生徒に勉強をさせるとことが前提です。

 だから、部活動も1週間前から原則無くなります。

 模擬テストは出題範囲が提示されている場合もありますが、範囲が抽象的だったり範囲が広かったりするため、勉強をしようが無いということがあります。

 しかし、模擬テストの目的は学力を知ること、志望校判定をすることが目的であるため勉強をしないで受検をしても問題は有りません。

 もし、勉強をするならば1つの単元に絞って学習することをお勧めします。そこが出題されたらできるようにすることは、学力向上には役立つはずです。


 さて、模擬テスト、学力テスト、定期テストではない、授業中に行うテストですが、その多くのテストは学習をさせるためのテストが多いと思います。

 私が授業中に行うテストは、学力の定着を知るためのテストか勉強をさせるためのテストです。

 勉強をさせるためのテストは、出題するところをはっきり明確にします。


 テスト=試験を、検査とか考査と言う言い方をする場合があります。

 私の中にあるそれらの違いですが、検査とは現在持っている学力を調べるものであり、考査とは本来、提示されたものをそのまま表現できるかどうかを調べるもの、試験とはそのままの表現させるのではなく、理解しているかどうかを調べるものです。

 身長や体重を調べることを、身体考査とか身体試験とは言いません。その人が持っている体格(素質)を調べる為、身体検査なのです。

 検査は何も対策を立てることはできません。もし、良い結果を出したければ基礎基本を固めることと、それを基に長い間思考力を養うことが必要ではないでしょうか。

 考査は努力で高得点を取ることが出来ます。ただし、短期記憶ではすぐに忘れてしまい、そのテストだけの結果にしか反映されません。長期記憶にするためには、暗記とは言え、「なぜ」と「どうして」と考えることです。

 試験は知識だけではなく、思考力、応用力を試されます。丸暗記をしている人、意味も解らずやり方の順序や公式を暗記して解こうとしている人、問題の理解をせず、途中の過程を軽視して答えを出そうとする人は試験での結果を出すことはできません。


 最近、学校の定期テストを定期考査と言う学校が増えていますが、定期考査となると丸暗記したかどうかを調べることになってしまいます。

 丸暗記をして覚えているかどうかのテストではありませんので、定期試験と表記が正しいかと思います。

 もちろん大切なのは、名前より中身なのですから考査でも試験でもかまいません。

 中身としてでず、定期テストの勉強が暗記する勉強になってしまったら、その子は将来、命令されたことやマニュアルの目的や理由を考えない人間になってしまうのではないかと不安になります。

 人に言われたままそれに従い生きていく、そして生きていくことに困った時に、「言われた通りに生きていたのに」と思うのであれば悲しいです。

 自分で自分の未来を切り拓くことが出来る人間になって欲しいと願います。



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順調な時こそ、その理由を考えよう! [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 人はうまくいっていない時は、色々と考え悩みますが、うまくいっている時には、その理由を考えなくなるものです。

 しかし、それが解らないと大きな落とし穴が待っていることが有ります。

 教育の世界でも「ゆとり教育」は失敗と言わざるを得ません。

 学校週5日制を成立させるためには、どうしても教育内容の削減が必要でした。

 日本が成長してきた理由である高い学力を維持してきたのは、難しい教科書と多くの授業によるものでした。

 ところが、学習指導要領を改訂し、学習内容を減らし難易度も下げてしまいました。

 円周率を「3.14」ではなく、「3」でやっていた時代が有ったのが今となっては不思議なくらいです。


 私立中高もそうです。今まで色々な学校を見てきましたが、どうして順調に生徒を集めているのかを解っていないで改革をして失敗する学校もあります。

 会社組織についても同様のことが言えると思います。

 調子の良い時は、自分自身を客観的に見られないものです。調子が良いため、何でもうまくいくと勘違いしてしまっては躓くことにもなります。

 もちろん、地雷を踏まずに先に進めることもありますから、必ず伸びがともるとは限りませんが、止まる前に伸びている理由を知ることが必要です。

 折角うまくいっているのにそれが続かないのは、「うまくいっているから少しくらいは良いだろう」と今までうまくやってきたやり方を変えてしまうことにあります。気が抜けるとか油断と言えるかもしれません。


 受験でも合格後に、緊張感を継続して、次の学校生活が充実できるように準備をしていきたいものです。とは言え、一生懸命頑張ってきた人が、受験が終わった後も同様の生活を続けられるかと言うと、それは難しいですよね。

 しかし、合格はあくまでも夢の実現のための通過点であることは間違いありません。少し休んだとしても、次の目標に向けて一歩前に!



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都立高校合格発表“言ってはいけない言葉” [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

 都立高校合格発表の日。

 朝から合格の連絡が入っています。

 合否に関わらず受験生たちは、その結果を受け止めて前に進むことになります。

 受験は通過点であり、高校進学は未来の夢の実現のための手段です。

 結果はどうあれ、頑張ったことは本人の中に残りますし、精一杯やったことは本人の糧となり、これから訪れる困難に打ち勝てる力を与えてくれます。

 我々は、大原則である『進学する学校が、本人にとって一番いい学校』で有ることを忘れてはいけません。

 これは、他のことも同じです。

 『今、自分が置かれている場が、自分にとって一番いい場』なのです。

 そこで、学び、成長していくことで未来があります。

 我々は、合否が出た受験生に言えることは「これだけ頑張ったのだから、どこへ行っても(何が起きても)頑張れるよ」という子ではないでしょうか。

 後悔や言訳は成長の敵です。

 高校受験の結果で人生が決定するわけではありません。

 高校受験の結果で将来の幸せが遠のくわけではありません。

 この経験を活かせるかどうか大切です。

 発表後の子に言ってはいけない言葉は、

 「だから言ったじゃない」

 不合格だった子に「初めから○○高校にしとけばよかったんだよ」

 合格した子に「○○高校でも受かっていたね」


 もう一度確認します。

 結果を受け入れて前に進むことで人は成長します。

 100回の困難に立ち向かい、うまくいくのは1回も無いかもしれません。

 それでも挫けず前進することで、必ずうまくいく時が来ます。

 その、少しの喜びのために私たちは、今を精一杯生きているのです。

 『進学する学校が、本人にとって一番いい学校』なのです。


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