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物事は始まる前に結果が出ている [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 イベントが成功したかどうかの判断はどこでするのでしょうか。

 「先日行われたこのイベントには3万人の人が集まり・・・」

 判断基準の1つは集客です。

 参加者の満足度、出演者の満足度、運営スタッフの満足度も当然、その判断基準となりますが、まずは開催前のチケットの売れ方、予約状況が重要です。

 2021年11月3日に行われた、大井町から教育を考える会の「私立中高合同相談会」は新型コロナウイルス感染防止重視して、参加者の密を防ぐため、初めて予約制にしました。

 その結果、予約は全て埋まり当日は適度な賑わいの中、相談会を行うことが出来ました。

 終了後に改善するべきところはいくつもあり、来年度以降につなげていきたいと思っておりますが、参加者が集まったことで、もう既にそのイベントは成功なのです。


 前回のブログで書いたテストについても同様です。

 「来週の数学の時間にテストをするぞ」

 授業中に行うテストの中で、出題範囲を明確にして行うものについては、その目的が学力をつけることにあります。

 塾生が勉強をしてくることにより、学力アップを目指すものです。

 つまり、勉強をしてくることが重要であり、その結果は重要ではないのです。

 と言うことは、「テストをするぞ」と言っておきながら、当日「中止する」としても、子供達が勉強をしてきたのならば、目的達成です。

 テストを行う前に、テストをしなくても目標達成なのです。


 入学試験にいてはどうでしょうか。

 入試は志望校に入るために合格点を取ること、つまり合格が目的ですから、いくら頑張ったとして実際には結結果が問題となります。


 しかし、入試の目的が合格することではなく、人が成長するための一つの通過点と考えるとどうでしょう。

 つまり、小中高生が大人になって行く過程としての受験勉強であり受験と言う経験。合格することは人として成長するための目標であり、合格は未来のその子の夢を叶えるための手段の一つであると考えると・・・。

 合否という結果ではなく、日区画を目指して取り組んだ過程が重要であり、受験をする前に結果が出ているということになります。


 10年20年…50年60年と言う長い目で見た時に、受験の結果より過程が人生を大きく左右する気がしてなりません。

 そもそも、受験は必ず合格となるわけではありません。

 だから頑張ることが出るのも確かです。

 不合格となっても人生が終わるわけではありません。

 大切なのは、遠い先の夢を持ち結果如何に関わらず、受験後に夢の実現に向けて、一歩踏み出せるかどうかです。


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コロナと家族と受験生 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 「母が陽性になりました」

 3/21の都立高校入試直前に受験生が濃厚接触者。

 おそらく、こんなことが沢山起きていると推測できます。

 家族の誰かが陽性となれば、必然的に家族は全員が濃厚接触者となります。

 受験生本人の不安な気持ちは計り知れません。

 陽性となった家族に症状が出ていれば容態が心配であり、自分が感染したら3/21の入試は受けられない。

 発症していないとしても、家族が感染したこと、自分が濃厚接触者となったこと、その上で入試を受けることになる動揺や不安は少なからずともあると思います。

 今まで、一生懸命に頑張ってきた受験生ならなおさらです。


 その受験生の気持ちを察し、辛い気持ちになっているのは感染した家族だと思います。

 特に親が感染した場合は、悪くないのに、罪は無いのに、仕方がないのに・・・自分自身を責めてしまうかもしれません。

 そんな親のことを考えると、すごく苦しくなります。

 さらに、受験生の気持ちも考えると、いたたまれなくなります。

 もし、そのようなことが起きたなら、私に何ができるのだろうかと思います。


 とにかく、寄り添う。話を聞いてあげる。

 3/9に「特例による検査」ができることで、安心してもらうようには努めるが、2/21同様の試験になるのか分からず、どちらにしても不安は残るだろう。

 不安を軽減し、気持ちも切らさず3/9の試験を受けられるようにできる限りの事をするしかないと思う。


受験生のお母さんお父さん(ご家族)で陽性になった方へ
全く責任は有りません。
あなたの子供はそんなに弱くありません。まずは自分の健康を第一に考えてください。それが今できる子供への一番の配慮です。陰性になること元気でいることが、我が子を一番元気づけることであることは間違いありません。そして、我が子を信じてあげてください。

お母さんお父さん(ご家族)が陽性となってしまった受験生へ
陽性となった、お母さんお父さん(ご家族)は凄く責任を感じていると思います。でも、一生懸命に生活をして、気を付けて生活をしていてのことですから、責任は有りませんよね。辛い気持ちを和らげることが出来るのは、気持ちを強く持って今やるべきこと、勉強と自分自身の体調管理をすることです。そして試験でベストを尽くして欲しいです。「私は今の自分にできることを精一杯やった」それが今できることです。


 現実を受け入れ最善を尽くす。

 未だ、受験は終わっていません。

 未来は自分の気持ちで変えることが出来るはずです。

 受験生がベストを尽くすことで、親の罪悪感を消すことが出来ます。

 そうなれば、結果はともあれ、最高の結末が訪れると思います。


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受験生よ、言い訳無しだ! [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 高校受験は、私立中受験や大学受験と大きく異なることがあります。

 中学受験も高校受験も大学受験も、志望校に合格となれば、その志望校に通います。

 では、不合格となった場合はどうなるかと言うと、中学受験は公立の中学校に通うことが出来ます。大学受験は、浪人することが有ります。

 ところが、高校受験は合格しないと高校には通えませんし、不合格となっても今は浪人と言うことは殆どありません。

 つまり、通う学校が無くなってしまうため、どこかの学校に絶対に合格しなければならないのが、高校受験なのです。


 従って、高校受験では絶対に受かる高校を押さえる必要が有ります。(ここでは、全日制の高校で考えさせていただきます)

 例えば、第一志望が都立A高校、第二志望が併願優遇(押さえ)の私立B高校とします。

 絶対に受かるB高校を受けるということは、必ず高校生になれるということです。

 そうなると、本来は第一志望に合格するために、押さえの学校を受けるにも関わらず、いつの間にか抑えの高校が良くなってしまい、隠れ第一志望になることがあります。

 勿論、万が一の時に備えて決めた学校ですから、全く行きたく無いわけではないはずですし、当然行きたい学校であるべきです。

 押さえのB高校に行くこともOKであり、受験校を決めて数か月後に本番の入試があるわけですから、当然そこが第一志望になって行くことはあります。

 そしてそれは、言わば必然的なことで問題があるわけではありません。

 しかし、本当に行きたい高校はどこかを、もう一度深く考えてみてください。

 将来の夢と、高校生活でやりたいことをもう一度自問自答してください。

 その結果、第一志望は間違いなくA高校と判ったならば頑張って勉強をしてください。

 受験後に「本当にA高校に行きたかったから精一杯頑張った。もし合格できないとしても一生懸命に選んだB高校で3年間頑張れる」と言える受験生から合格者が出ると思います。

 「別に初めからC高校でも良かったと思っていた」、「C高校は初めから無理なのは解っていた」と言うのは、オリンピック選手が競技を終えて「別に初めから銅メダルでも良かったと思っていた」、「メダルは初めから無理なのは解っていた」と言うのと同じです。
そのようなコメントはオリンピック選手から聞いたことが有りません。

 諦めずに夢を実現する強い意志、たとえうまくいかなくても、結果を受け入れ次に進むための努力をしている人は必ず夢がかなう人ではないでしょうか。



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学力をつけることと成績を上げることは違う [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 以前に「学力がついても合格できない」と言うことをお話しましたが、学力をつけて、つけた学力を受験で発揮することが合格に結びつきます。どんなに学力がついても受け方が悪いと合格できません。

 しかし、学力をつけないと、受験校の選択肢が少なくなり将来の可能性を狭めることになります。従って、学力をつけることは大前提です。


 今回は「学力をつけることと成績を上げることは違う」ということをお話しします。

 日々の学習の目的は何か考えてみてください。次のうち1番近いものは何ですか?
 ア.学校の試験の得点を上げること。
 イ.学校の成績(内申点)を上げること。 
 ウ.志望校に合格すること。
 エ.志望校に入って有意義な時を過ごすこと。
 オ.その他

 学力がつかない学習は、目の前の“正解”を得るための学習です。


 例えば次のような問題

 「ある小学校で、5年生の女子は90人で、それは5年生全体45%です。5年生の男子の人数は何人ですか。」

 “正解”を得るために問題の理解(=問題を考えること→問題の整理)をする子はOKです。

 しかし、適当に書いてある数字を使って計算を始める子は要注意です。

 そして、解答を見たり誰かに教わったりすることも良くありません。

 解答を知って、どうしてそうなるのかを理解しようとする子は良いのですが、たまたま正解したり、教えてもらったりして正解にたどり着いて満足している子は大ピンチです。
 
 学力がつくのは、「問題を考えることでしかつかない」という原則を忘れないでください。

 正解が得られても、適当にやって偶然に合っていたとしたら本当の学力ではありません。

 親に聞いて、本当は子どもがやらなければいけない部分、つまり問題を考えることを親が肩代わりしてしまうと学力は付きません。

 「全体の45%が女子だから、学年全体は90人÷0.45=200人、200人から女子の人数90人を引いた残りが男子なので、200人-90人=110人。だから答えは110人だよ。」と解いてあげても、子供の考える機会を奪っているだけです。


 子供には考える力があると信じること、“正解”にならなくても構わないという気持ちを持つことしか、我々(親と先生)にはできません。

 子供が目先の結果を追い求める原因の多くは、大人が結果を求めるからだと私は思います。

 年功序列賃金制、終身雇用制が過去のものと言っていい現代では、本当に求められているのは、問題解決能力であり“正解”ではなく、多くの失敗から学び、より高みを目指せる人間です。

 私は、子供たちに別の世界を見せてあげたいと思っています。

 そして、多くの人たちの力になって欲しい、それが豊かな世界に結びつくはずです。

 成績を上げること、志望校に合格することは目的ではなく手段です。

 本当の目的を達成するために、成績が上がること、学力が付くこと、志望校に合格することを目指していきたいです。

 そのために、答えを出そうとしないことが大切です。

 “正解”を得ることを目的にしないからこそ、“正解”に辿り着けるのです。

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