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苦しいことを乗り越えることを成長と言う [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

 苦しい事を乗り越える事を成長と言います。

 従って、苦しい事から逃げてしまうと成長できません。

 当然なことですが、苦しい事がないと成長できないことにもなります。


 苦しい事と言うのは、自分の力で解決するべきことで試練の事です。

 そして、それらは自分が要因で起きたこともありますし、自分で決めたこともあります。

 それらは、予期せぬ想定外のことで有ったり、自分以外の要因で身に降りかかったりすることもありますが、そこから逃げるか、それに挑むかは自分で決めることです。

 「どうしてこの時期に、こんなことが起きるのだろう」と思うこともありますが、それを受け止めて、方向性を定めて解決法を考え行動します。

 起きた事の原因を特定して、2度と起きないように、起きたときに問題が生じないようにするために対策を講じます。

 又、行動した後の結果を検証して、次に活かすことで改善していくのです。

 とは言え、親が試練を子供に与えるのではありません。

 親(大人たち)が与えるのは機会(チャンス)です。

 その機会を活かすかどうか決めるのは子供です。

 きっかけは親でも、それを決めるのは子供です。

 自分で決めた事だから頑張れる。

 頑張った結果を受け止めて次に進みます。

 結果は関係ありません。

 悪い結果だから試練を乗り越えられなかったということではありません。

 結果はどうあれ、自分が決めたことに立ち向かい精一杯やったことで、成長をゲットできれば私は試練を乗り越えたと思います。

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次の文を読んで?後の問いに答えなさい [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 国語の問題で「次の文を読んで後の問いに答えなさい」と書いてあるのに、「次の文を読まない」人がいます。

 問題文を読まなくても答えを出せたり、答えが偶然当たったりすることが、問題文を読まくなった原因の1つかもしれません。

 算数でも文章題の問題を良く読まずに、そこに書いてある数字で式を作って正解となるのと似ています。

 わり算という単元で「6mのテープを3人で分けたら1人分は何mになりますか?」という問題があると、わり算の式をとにかく作ろうと思い、大きい数を小さい数でわればいいと考えて式を作ります。

  6÷3=2 答え2メートル

 ところが、わり算という単元で「3mのテープを6人で分けたら1人分は何mになりますか?」という問題があると、同様にわり算の式をとにかく作ろうと思い、大きい数を小さい数でわればいいと考えて式を作ります。

  6÷3=2 答え2メートル

 答えが小数や分数になる問題が出てくると点数が取れなくなります。


 さらに、「家から学校まで行くのに、分速80mで歩くと12分かかります。家から学校までの道のりは何mですか」と、速さや割合の単元になると、かけたり割ったりするのでどうにもなりません。

 それでも、すでに問題を読まないで式を作る癖がついているので、その後も書いてある数字を適当に組み合わせて答えを出そうとし続けます。

 そうなると、勉強ができるようにはなりません。


 適当に式を作っているのかどうかを確かめるため、答えが合っていても「どうして」と聞いて、本当にわかっているのかどうか確かめる必要があるのです。

 もし、適当にやっていたことが判明したらどうしたらいいでしょう。

 「これの問題の式は、3÷6になる」と教えたら全く変わりません。

 「この問題は・・・」と問題文の内容(意味)を説明してしまっては、問題文を読まなくなるので、これも全く変わりません。

 ポイントは問題文を読ようになること、問題文の意味を考えるようになることですから、そこを「考えてみよう」と伝え考えさせると良いと思います。

 その時に注意することは、親が誘導したりヒントを出しすぎたりしないことです。

 本人に考えさせて間違っていても、その間違いを受け入れて、さらにその間違いに自分で気が付けるようにします。

 「なるほど、そう考えたんだね(がんばったね)」

 「そう考えると、その後はどうなるかな」、「答えを確かめてみるとどうなるかな」

 それで自分で間違いに気がつくことができれば、まだ復活の余地があるでしょう。


 従って、親ができることは・・・

 ◆結果を褒めない:答えを出そうという気持ちが強くなる、良い点数を取ればいいという気持ちが強くなる→問題を読まない・適当に答えを出す→できる問題もあるが解っていない、できなくなっていく

 ◆教えない:特に問題文を要約したり、問題文の意味を教えたり、式をつくってあげたりしない→問題文を読めなくなる→学力がつかない、できる問題もあるが本当は解っていない

 全ての子が前述のようになるとは限りませんが、できなくなっている子、できなくなる子の原因としては少なくありません。


 学習塾は沢山あり、そこにさらに沢山の講師います。

 彼らも同様に、結果を褒めると、「答えが出ればいい」、「答えが出れば褒められる(叱られない)」、「できれば帰れる」と考えて、問題を読まなくなることが有ります。

 講師が問題をやらせて、間違った問題の“やり方”を教える指導法であるならば、一部の子を除き学力は伸びないと考えます。

 一部の子とは、常に問題を読み意味を考え、理由を考えて答えを出すことが身に付いている子です。

 それらの子は自律していて、これからも成長していける人間です。


 私はいぶき学院の講師に、結果で褒めたり叱ったりしないこと、教えないことを徹底していきます。

 とは言うものの、それらを実行することは難しいことです。

 それでも精一杯頑張って、塾生が一生涯成長できる人間になることを目指します。


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ノルマを課す企業 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 いぶき学院とお付き合いのある企業は多々ありますが、担当の営業の人が会社から「ノルマを課せられているな」と感じる時が有ります。

 どうしてわかるかというと、こちらの都合はお構いなしで購入や契約を勧めてくるからです。

 今までお世話になっていることもあり、時にはその勧めに乗ることも有りますが、毎回それに乗ることはできません。

 出費があることや契約等のわずらわしさがあるからです。

 1度契約すると、次も契約してくれると思っている営業もいる気がします。

 断りを入れたのに、執拗に勧めてくる人もいます。

 そうなると、その企業との付き合いを打ち切りたくなることも有ります。

 ノルマが課せられていると、お得意先との付き合いが今後無くなったとしても、大切なのは「今の契約」となっているのです。

 今、無理に契約を取らなくても良好な関係を継続していければ、将来何度も契約を取れる可能性が高まります。

 長い目で見ると、その方がより多くの契約が取れることになります。

 焼き畑的に契約を取っていくと、新規の顧客を獲得する必要が出てきますが、お得意様を沢山持っていれば、毎月その中のいくつかのお得意様と契約が取れるはずです。

 あくまでも素人の考えですが、私は、その方が楽に契約が取れ、ノルマが課せられていてもクリアできるのではないかと思うのです。


 ノルマを達成しようとすることで、取引先が必要のない契約を結ぶことになります。

 営業は自分のノルマは達成できて嬉しいかもしれませんが、そのしわ寄せは客にきます。

 そうなると、「何のために仕事をしているのか?」と言う疑問が生まれます。

 自分の会社の都合を受けて(ノルマを課して)、自分の都合(ノルマ)を顧客に押し付ける。

 それは、本来、企業が目指すべきものとは違うと思うのです。

 少なくとも私は、契約を結んだり、何かを購入していただいたりすることが、人の為になる(役に立つ)ことで嬉しさを感じ、それが生きがいではないかと思います。

 学習塾業界も似たようなことがあり、「とにかく入塾させてしまえ」という話も聞きますが、私は当塾に合う子だけを受け入れたいと考えています。

 合う子とは、“一緒に夢を見られる子”です。


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人生を作図しよう! [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

 数学の作図の授業。

 「直線ℓに点Pで接し、点Aを通る円を作図しなさい。」

 作図ではコンパスを使って、どこかを中心としてグルっと円を書き、定規で線を引いて、問題に指定された図形を書くのですが、

 作図が苦手な子を見ていると、コンパスを準備して点P,Aを中心として円を描き始めます。

 しかし、肝心な円の中心を見つけることができません。

 中には円を書いているうちに気づき、円の中心を探り当てる子もいますが、それは偶然の力を借りたことになります。

 作図の得意な子は、コンパスでいきなり円を書き始めずに、まず出来上りの図形をイメージして、その図形の特徴(性質)をつかみ、それを書くために必要なことを考えてから書きます。


 作図は人生に似ていると思います。

 何も書かれていない紙に、自分の思い描く未来の姿(夢)を創造し、それを実現するために必要なことを考えて行動に移すからです。


 とりあえずやってみることも大切で、それで夢が叶うこともあるでしょう。

 しかし、最初にやることは、叶えたいこと(なりたい自分)のイメージをつくることだと思います。

 それが無いと、コンパスを開いても使えなかったり、コンパスで円を描いても定規で線が引けなかったりして、作図が完成しません。


 試験で80点を取る。志望校に合格する。部活動の試合で勝つ。コンクールで精一杯演奏する。新しい学校に入学して充実した日々を過ごす。看護師の資格を取る。ゲームを製作する仕事に就く。政治家になる。・・・などのイメージを持ち、それを実現するために考えて実行するのです。

 さらに、それらを実現する目的(何のためか)を明確にできれば、それに向けて挫けずに進んでいけるはずです。


 例えば、志望校に合格するのは何の為でしょうか。

 その目的は何でしょうか。

 合格するために、そして合格した後も多くの時間を割いて勉強をするのは、その先にあることの為だと思います。

 それを「志」と言います。

 「志」を持っていれば、ぶれない人生を送ることができると思うのです。

 「志」を大切にして、人生を作図していきたいものです。


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