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子を「かわいそう」と思っていませんか [★親学・子育て 「親子のコミュニケーション」]

 我が子を「かわいそう」と思っていませんか。

 実際には口に出してはいなくとも心の中で「かわいそう」と思っている自分がいませんか。

「体が弱くてかわいそう」、「算数が苦手でかわいそう」、「さか上がりができなくてかわいそう」、「友達ができなくてかわいそう」、「友達と話ができなくてかわいそう」、「授業中、発言できなくてかわいそう」、「先生に質問できなくてかわいそう」・・・「体が小さくてかわいそう」、「体か大きくてかわいそう」、「一人っ子でかわいそう」、「末っ子でかわいそう」、「長女(長男)でかわいそう」・・・きりがありません。


 「かわいそう」は憐みの言葉ですから、「かわいそう」と思うということは子を憐れんでいることになります。

 そうなると、「私ができることはやってあげよう」という気持ちになります。

 それではできることは何かというと・・・

 それは、手取り足取り世話をすることでしょうか?

 決して困らないように先回りして手助けすることでしょうか?

 もちろん世の中に手助けが必要な方が沢山いることは確かです。

 しかし、手助けが必要ないのに、過剰に親が手助けをしているケースも少なくありません。

 子はいつか、親から離れて独り立ちしなければなりません。

 その時のため、失敗しても大丈夫な子供のうちに、自分で考え、自分で決めて、自分で行動させることが大切です。

 そして、結果を受け止めて先に進んでいく強さを身につけなければ、親がいなくなったときに前に進めなくなります。


 親は子供がレールを踏み外すことが怖くてなりません。

 しかし、遠い未来を考えると、目の前のレールを踏み外す勇気も必要です。


 親は子供に自分を映し自分の夢を託すこともあるでしょう。

 しかし、親は子とは別の人格であり、別の人間であることを忘れてはいけません。


 子が叶えるべきは、親の夢ですか、自分の夢ですか?

 「かわいそう」と憐れむのではなく、「ひとりで出来る」と信じてあげましょう。

 親が自分の子を信じられなければ、誰がその子をも信じるのですか。

 我ができることは、子を信じ黙って見守ることなのです。


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