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教えない授業 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

副学院長のYが語学研修中、N・N先生に授業をしていただいた。
N・N先生は地元の1番塾の塾長をされていた先生で、この4月から甥のY・N先生が塾長となり授業から離れたのだ。いぶき学院としては申し分のない代わりの先生だった。
彼はYの授業に1週間張り付いて見学し、授業準備も入念にされていた。本当にありがたかった。

その彼が、「Yが教えない授業をしている」と言う。
塾によって、方針や指導法が異なると思うが、大ベテランで授業力があり、多くの子供たちを指導し結果を出してきた彼が言うことなので重みが違う。
確かに、いぶき学院の授業研修では、「先生のやることは、教えない事と、どうしてできないかを考えることだけだ。」と先生たちに話をする。
Yも私が授業研修をやってきた。だから、「教えない授業をしている」と言われるとうれしい気持ちになる。

いぶき学院ではどうして、教えない授業をしているかというと・・・

いやその前に、どうやって学力をつけているのかというと・・・、子供たちに考えさせて、自分で学べるようにしているのだ。「どうして」、「なぜ」を大切にして、それに気がつくことで、思考力と応用力を高めている。

それは、誰でもできるわけではない。いぶき学院では解説を見るとか、友達に聞くとかは絶対にさせない。解説を理解することが勉強とは思わない。ともすれば『やり方』を覚えていく学習に繋がるからだ。友達に教えてもらって得をするのは、教える側である。人に教えるためには自分が理解していなければならない。そして、教えることは自分の言葉で伝えることになるので、理解が深まり定着するのだ。教わっている友達は、その『やり方』の理解と暗記に向かうかもしれない。それは危険なことと考えている。

我々は玄人として、子供たちの考えを引き出し、理解させ理解を深めて定着させようとしているのだ。授業には脚本があって、ドラマだったり、ドキュメンタリーだったり、バラエティだったりする。それを演出して進行していくのが我々である。そこには緻密な計算と、塾生たちの様子をうかがって脚本を変えていく臨機応変さが必要になる。それを、授業を受けている塾生や見学している人に気づかせないで自然に行えると良い。まだまだ私自身も未熟で日々修業である。

さて、教えない授業の理由だが、それは、“合格だけさせればいい”という指導方針ではないからだ。“合格するために最前を尽くすことから人間力をつける”ことを目的としているのだ。そして、自ら物事を見て考えて気づいて実行して失敗することの繰り返しが、これから続く長い人生において人間的成長を持続できると考えているからである。

人間の成長は一生涯続く。
だから、そのために今、子供たちにその種を蒔いているのである。

教えなくてもすべての答は子供たちが持っていると信じている。
子供たちの発想は無限大。可能性も無限大。
こちらが教えず型にはめなければ、新しい発想がどんどん出てくる。

本当に人間の力というものはすごいものだと思う。

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