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山口恭弘先生がご逝去 11/8に偲ぶ会(感謝の会) [ひとりごと]

山口恭弘先生が2015年8月3日に逝去されました。その報を聞いたのは1か月以上経ってからでした。

家族、親類だけで葬儀をされたそうで、我々は何も知りませんでした。9月になり「山口恭弘先生がお亡くなりになった。」ということがわかり、瞬く間に知らせが駆け巡りました。そして、11月8日に偲ぶ会という形でお別れを告げることとなったのです。

山口恭弘先生との最初の出会いは、おそらくいぶき学院がが学習塾団体に加盟した1999年だと思います。ただ、その時はお見かけする程度で会話をしていません。当時、山口先生は全塾連の理事長をされていました。

そして、2001年にその全塾連、日本私塾会、PTFと言う学習塾3団体が1つになり、全日本私塾教育ネットワーク(私塾ネット)が誕生しました。その時の初代理事長が山口先生でした。いぶき学院はPTFに加盟していて、そのまま私塾ネットの会員となりました。

3団体が1つになることは容易なことではありませんでした。会合を毎月のように繰り返し、私塾ネットの土台となる規約等を作成していきましたが、肝心なのは合併して、このまま会員として何塾が残るかと言うことでした。この3団体をまとめ上げていくのには、相当な求心力のある人物が必要であると考えた結果、山口先生ということになったのです。

塾業界(学習塾団体)に入りたての新参者の私は当時怖いもの知らずで、かなり言いたいことをはっきり会議で発言していたと記憶しています。ただ、山口先生には不思議と何も言えなかったように思います。

私塾ネットの発足に向け、組織づくりと発足式の準備に動き出している時期。いぶき学院に電話が入りました。「山口さんという方から電話が入っています」と取り次がれて驚いた。私塾ネットの理事長になる山口先生から、直々に電話が来るなんてと思い、大変緊張しました。後にも先にもあんなに緊張した電話はありません。もちろん、要件は何かわからない。ただ、山口先生から電話が来たというだけで緊張しました。「鈴木先生、私塾ネットで研修部長をやってもらえないか。」という言葉に、「はい、やらさせていただきます。」と答えるのに精一杯でした。

それから3年間、山口理事長の下で、発足式も含めて実行委員長として全国研修をやらせていただきました。文句を言われたことも、注文を付けられたことも1度もありませんでした。それは私が良い仕事をしていたのではなく、山口先生がうまく取りまとめてくれていたのです。私は山口先生に育てられた人間です。

以後、会長、名誉会長となり、会うたびに語る教育論は常に熱かったです。「鈴木先生、○○しなきゃいけん。」と何度も言われました。

私はこの15年間、山口先生の後ろ姿を見て育ってきました。いつも腰が低く偉ぶらない。しかし、志は最後まで高かったです。

以下は、私のブログで紹介した山口先生の言葉です。
2009年6月4日のブログ

※山口恭弘先生を偲ぶ会につきましては、こちらをご覧ください。

参加されたい方は・・・ 私塾ネット関東会員の方は、渡辺総務部長へ 他の方は、若竹塾へ お願いします。



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