良い授業・学力が伸びる条件① [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]
良い先生でも学力を伸ばせないことは当然ある。
なぜならば、どんなにいい授業をしても、どんなにいい話をしても、それを聞いていなければ、無意味だからだ。
もちろん良い先生は生徒の心をつかみ、興味を持たせ、関心を持たせて考えさせることがはずだが、残念ながら限界はある。
従って、子供が学力を伸ばすためには、先生の話をよく聞くことが出来なければならないと思う。
そして子供達は話を聞いて、話を素直に受け止めることが次に大切になってくる。
素直に受け止めるとは、先生の話を聞いて納得して、その通りに学習することだ。
具体的に言うとノートになるだろう。
算数や数学で言うならば、式を書いて途中式を書いて、答えを書くということだ。
文章問題や応用問題ならば式を作る前に書いてあることについて理解を深める。
つまり問題に書いてあることを整理してまとめ、分かりやすくする力、まとめる能力がそこで必要になってくる。
まとめることができたならば、そこで自ずと式は作れるものだ。
問題が解決されるときは「わかった」と思う時があるが、「わかった」という言葉が出てくるのは、答えが出た時ではなく、問題に書いてあること、つまり問題の内容が理解できたときに発する言葉である。
従って、問題を整理して問題を理解することをすることが問題解決の第一歩となり、そしてそのそれができれば自ずと式ができ、答えを導くことができる。
学力が伸びる条件は、先生の話を聞くことが出来ることと、解りやすいノートを書くことが出来ることだ。
なぜならば、どんなにいい授業をしても、どんなにいい話をしても、それを聞いていなければ、無意味だからだ。
もちろん良い先生は生徒の心をつかみ、興味を持たせ、関心を持たせて考えさせることがはずだが、残念ながら限界はある。
従って、子供が学力を伸ばすためには、先生の話をよく聞くことが出来なければならないと思う。
そして子供達は話を聞いて、話を素直に受け止めることが次に大切になってくる。
素直に受け止めるとは、先生の話を聞いて納得して、その通りに学習することだ。
具体的に言うとノートになるだろう。
算数や数学で言うならば、式を書いて途中式を書いて、答えを書くということだ。
文章問題や応用問題ならば式を作る前に書いてあることについて理解を深める。
つまり問題に書いてあることを整理してまとめ、分かりやすくする力、まとめる能力がそこで必要になってくる。
まとめることができたならば、そこで自ずと式は作れるものだ。
問題が解決されるときは「わかった」と思う時があるが、「わかった」という言葉が出てくるのは、答えが出た時ではなく、問題に書いてあること、つまり問題の内容が理解できたときに発する言葉である。
従って、問題を整理して問題を理解することをすることが問題解決の第一歩となり、そしてそのそれができれば自ずと式ができ、答えを導くことができる。
学力が伸びる条件は、先生の話を聞くことが出来ることと、解りやすいノートを書くことが出来ることだ。
2024-10-25 01:00
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良い先生の条件② [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]
良い先生は伝達能力が高い。
伝達能力とは話を始める時に子供の気持ちを先生側に向かせる。
いわゆる、つかみ。
まず、こちらの話に引き込む能力があること。
そして発問をして考えさせる能力と、それらを最終的にわかりやすい言葉で子供達に提供できる能力。
「ああなるほど、そういうことなんだ」と気づかせる力。
これらが必要だと思う。
決して一方的にせつめいをしていくのではなく、子供たちの表情、質問に対する応答、ノートに書いてある内容などを総合的に判断して、授業で話す内容や、授業の組み立てを変えていく。
そために、解っているのかどうか?わかっていないなら、それはどうしてなのか?を見抜く能力が大切で、よく観察しながら授業を進めていく。
子供たちが本当に理解しているかどうかを無視して話を進めていくと、当然のことながら理解は進まない。
先生にとっても一番大切な、どうして理解していないかということを考えていないことによって、先生自身の成長もできなくなる。
私は、授業の組み立てや構成を綿密に考えて授業に臨むことはしない。
なぜならば前述したように、子供たちの理解度や様子発言によって授業は変えていくものだと思っているからだ。
それによって子供たちの理解を深まるとともに、先生が成長できる。
つまりここで言う成長というのは、どうすれば間違うのか、どうやると伸びるのかを知るということに他ならない。
だから、20人や30人といった大人数の指導をしていると、ある意味で一方的な授業になりがちになる。
そうすると先生の方も自分の成長という点では、どうしてもマイナスになってしまう。
およそ30人を超えているような授業になると、一方的に授業を進めていくしかなくなるので、先生の授業はそれほど伸びるということは考えにくい。
ただ、それでもつまずいている子供たちなどを観察することによって先生は伸びていくことができるので、先生方は子どもたちを観察して行くことを常に心がけてもらいたいものだ。
大人数を指導していく場合に、観察が充分にできなくなるならば、もうそれは100人でも1000人でも授業は変わらない。
それでも、先生の力量があるならば、ある程度質の高い授業は提供できるかもしれない。
子供たちが、「なぜ、どうして」と考えることで学力が付くのと同様に、先生も「なぜできない、どうして解ってくれない」と考えることでしか成長できないのである。
伝達能力とは話を始める時に子供の気持ちを先生側に向かせる。
いわゆる、つかみ。
まず、こちらの話に引き込む能力があること。
そして発問をして考えさせる能力と、それらを最終的にわかりやすい言葉で子供達に提供できる能力。
「ああなるほど、そういうことなんだ」と気づかせる力。
これらが必要だと思う。
決して一方的にせつめいをしていくのではなく、子供たちの表情、質問に対する応答、ノートに書いてある内容などを総合的に判断して、授業で話す内容や、授業の組み立てを変えていく。
そために、解っているのかどうか?わかっていないなら、それはどうしてなのか?を見抜く能力が大切で、よく観察しながら授業を進めていく。
子供たちが本当に理解しているかどうかを無視して話を進めていくと、当然のことながら理解は進まない。
先生にとっても一番大切な、どうして理解していないかということを考えていないことによって、先生自身の成長もできなくなる。
私は、授業の組み立てや構成を綿密に考えて授業に臨むことはしない。
なぜならば前述したように、子供たちの理解度や様子発言によって授業は変えていくものだと思っているからだ。
それによって子供たちの理解を深まるとともに、先生が成長できる。
つまりここで言う成長というのは、どうすれば間違うのか、どうやると伸びるのかを知るということに他ならない。
だから、20人や30人といった大人数の指導をしていると、ある意味で一方的な授業になりがちになる。
そうすると先生の方も自分の成長という点では、どうしてもマイナスになってしまう。
およそ30人を超えているような授業になると、一方的に授業を進めていくしかなくなるので、先生の授業はそれほど伸びるということは考えにくい。
ただ、それでもつまずいている子供たちなどを観察することによって先生は伸びていくことができるので、先生方は子どもたちを観察して行くことを常に心がけてもらいたいものだ。
大人数を指導していく場合に、観察が充分にできなくなるならば、もうそれは100人でも1000人でも授業は変わらない。
それでも、先生の力量があるならば、ある程度質の高い授業は提供できるかもしれない。
子供たちが、「なぜ、どうして」と考えることで学力が付くのと同様に、先生も「なぜできない、どうして解ってくれない」と考えることでしか成長できないのである。
2024-10-18 01:00
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子どもたちの可能性を引き出し伸ばす [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]
誰でも知っている「電池」。
今や「電池」の無い世の中はあり得ませんよね。
では「電池」とはいったい何でしょうか?となると、説明がなかなか難しいです。
電流の正体は電子と言うマイナスの電気を持った粒子の流れで、電子が流れれば電流が流れたことになります。
その電子が流れると、モノが動いたり、熱が出たり、光が出たりします。つまり電子が流れること、つまり移動することで、様々なエネルギーが生じるというわけです。
ところで、電流の正体である電子ですが、電子は全ての物質の中にあります。
勿論、我々の体にも電子は沢山ありますが、ところが我々の体にある電子が移動することは殆どありません。
プラスチックやゴムなどの中の電子も、ほぼ移動しません。
ところが、金属の中の電子は“自由電子”と呼ばれていて、移動できる状態にあるのです。
そこに、電子を移動させようとする圧力(電圧)をかけると、電子は移動し始めるということです。
カミナリは非常に高い電圧をかけられるため、本当は電子が移動できないようなものでも移動させてしまいます。
電圧をかけることで、もともとあった電子を移動させることが出来ます。
それが「電池」です。
「電池」は化学変化で電子を生み出し、それを移動させていきます。電子を出すという言い方もできますが、電子を移動させるのが「電池」の役割です。
そんなことを考えていると、ふと気づいたことが有ります。
全てのモノに電子があり、それを移動させて新たなエネルギーに変換するのが電池の役割ならば、全ての子供たちに様々な能力と可能性が有り、それを引き出す(移動させる)のが我々の役割ではないかと思いました。
子供たちに我々が、何かを与えるのではなく、もともと子供たちには、能力と可能性が有るのです。
それを見出して伸ばすことが、子供たちに携わるすべての人の役割ではないでしょうか。
今や「電池」の無い世の中はあり得ませんよね。
では「電池」とはいったい何でしょうか?となると、説明がなかなか難しいです。
電流の正体は電子と言うマイナスの電気を持った粒子の流れで、電子が流れれば電流が流れたことになります。
その電子が流れると、モノが動いたり、熱が出たり、光が出たりします。つまり電子が流れること、つまり移動することで、様々なエネルギーが生じるというわけです。
ところで、電流の正体である電子ですが、電子は全ての物質の中にあります。
勿論、我々の体にも電子は沢山ありますが、ところが我々の体にある電子が移動することは殆どありません。
プラスチックやゴムなどの中の電子も、ほぼ移動しません。
ところが、金属の中の電子は“自由電子”と呼ばれていて、移動できる状態にあるのです。
そこに、電子を移動させようとする圧力(電圧)をかけると、電子は移動し始めるということです。
カミナリは非常に高い電圧をかけられるため、本当は電子が移動できないようなものでも移動させてしまいます。
電圧をかけることで、もともとあった電子を移動させることが出来ます。
それが「電池」です。
「電池」は化学変化で電子を生み出し、それを移動させていきます。電子を出すという言い方もできますが、電子を移動させるのが「電池」の役割です。
そんなことを考えていると、ふと気づいたことが有ります。
全てのモノに電子があり、それを移動させて新たなエネルギーに変換するのが電池の役割ならば、全ての子供たちに様々な能力と可能性が有り、それを引き出す(移動させる)のが我々の役割ではないかと思いました。
子供たちに我々が、何かを与えるのではなく、もともと子供たちには、能力と可能性が有るのです。
それを見出して伸ばすことが、子供たちに携わるすべての人の役割ではないでしょうか。
2024-10-04 01:00
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