ヘルメットを着けても、罰則を設けても、保険に入っても、結局人 [ひとりごと]
先日、自転車に乗っている時、駐車場から出てきた自動車に引っ掛けられ転倒しました。
目の前に自転車がいるので、まさか出てくるとは思いませんでしたが出てきたのです。
幸いにもスピードが出ているわけではありませんので怪我はなく、自転車に多少のダメージがあった程度で済みました。
倒れている時に「大丈夫ですか」と声が聞こえ、運転手が降りてきて声をかけたと思って振り向くと、後ろから来た通りがかりの人で、何とその車は走り去っていきました。
ぶつけてしまったことは仕方がないのですが、走り去ったことに対しては憤りを感じました。
自転車もヘルメット着用が努力義務となり、自転車保険が義務化され、自転車の運転について罰則が設けられても、「危ない!」と思うことは減りません。
電動キックボードについても同様です。
いくら、規則や罰則を設けても人が変わらなければ、根本的な解決にはなりません。
人への気遣いや思いやりが大切だと思うのです。
目の前に自転車がいるので、まさか出てくるとは思いませんでしたが出てきたのです。
幸いにもスピードが出ているわけではありませんので怪我はなく、自転車に多少のダメージがあった程度で済みました。
倒れている時に「大丈夫ですか」と声が聞こえ、運転手が降りてきて声をかけたと思って振り向くと、後ろから来た通りがかりの人で、何とその車は走り去っていきました。
ぶつけてしまったことは仕方がないのですが、走り去ったことに対しては憤りを感じました。
自転車もヘルメット着用が努力義務となり、自転車保険が義務化され、自転車の運転について罰則が設けられても、「危ない!」と思うことは減りません。
電動キックボードについても同様です。
いくら、規則や罰則を設けても人が変わらなければ、根本的な解決にはなりません。
人への気遣いや思いやりが大切だと思うのです。
2024-06-21 21:00
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どうやるのかなではなく、どういういみかな [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]
問題のやり方よりも、問題の意味が大切です。
勉強ができるようになるためには、「問題の解き方」を考えるのではなく、「問題の意味」考える癖をつけることです。
以前、ある中学1年生に「x2+7x+10をかけ算の形に変形して」と問題を出したところ、「(x+2)(x+5)」と見事に、因数分解をすることができました。
ここでは因数分解と言う言葉はもちろん、やり方を一切説明していません。
小学生で、正方形、長方形、平行四辺形、三角形、台形、ひし形、の面積の公式を覚えさせて解かせると、面積の問題ができなくなります。
それは公式を忘れるからです。
「台形の面積の公式は、かっこ上底たす下底かっことじかける高さわる2」と覚えさせて、その時だけ正解しても、公式を忘れたらできなくなります。
人は意味が解らないものを、記憶にとどめることはできないのです。
では、どうすれば面積ができるようになるのかと言うと、それは面積の意味を理解することです。
「面積は広さのことで、1辺が1㎝の正方形の面積を1㎠と言い、それが何個あるかを考えてみよう」と説明し、それで自由に正方形などの面積を考えさせると、自分で解くことができます。実際に今の塾生には公式を一切覚えさせていませんが、面積を自力でクリアできた子は少なくありません。
ところが、面積の意味を理解できないと、覚える学習となってしまい「やり方を忘れた」となります。
わり算の単元ならば、大切なのは筆算のやり方ではなく、わり算の意味の理解、分数の計算ならば、計算のやり方よりも、分数の意味の理解、素因数分解の問題ならば、やり方ではなく、素数と素因数分解の意味の理解が大切なのです。
わり算の単元ならば、大切なのは筆算のやり方ではなく、わり算の意味。分数の計算ならば、計算のやり方よりも、分数の意味、素因数分解の問題ならば、やり方ではなく、素数と素因数分解の意味が大切なのです。
どうしても問題を解こうとすると、意味や理由が解らなくても正解ならばOKと考えてしまうかもしれませんが、本当に勉強ができるようになるためには、言葉の意味、問題の意味を理解することが必須です。
そして、これは勉強だけではなく、全ての事に言えることだと思います。
勉強ができるようになるためには、「問題の解き方」を考えるのではなく、「問題の意味」考える癖をつけることです。
以前、ある中学1年生に「x2+7x+10をかけ算の形に変形して」と問題を出したところ、「(x+2)(x+5)」と見事に、因数分解をすることができました。
ここでは因数分解と言う言葉はもちろん、やり方を一切説明していません。
小学生で、正方形、長方形、平行四辺形、三角形、台形、ひし形、の面積の公式を覚えさせて解かせると、面積の問題ができなくなります。
それは公式を忘れるからです。
「台形の面積の公式は、かっこ上底たす下底かっことじかける高さわる2」と覚えさせて、その時だけ正解しても、公式を忘れたらできなくなります。
人は意味が解らないものを、記憶にとどめることはできないのです。
では、どうすれば面積ができるようになるのかと言うと、それは面積の意味を理解することです。
「面積は広さのことで、1辺が1㎝の正方形の面積を1㎠と言い、それが何個あるかを考えてみよう」と説明し、それで自由に正方形などの面積を考えさせると、自分で解くことができます。実際に今の塾生には公式を一切覚えさせていませんが、面積を自力でクリアできた子は少なくありません。
ところが、面積の意味を理解できないと、覚える学習となってしまい「やり方を忘れた」となります。
わり算の単元ならば、大切なのは筆算のやり方ではなく、わり算の意味の理解、分数の計算ならば、計算のやり方よりも、分数の意味の理解、素因数分解の問題ならば、やり方ではなく、素数と素因数分解の意味の理解が大切なのです。
わり算の単元ならば、大切なのは筆算のやり方ではなく、わり算の意味。分数の計算ならば、計算のやり方よりも、分数の意味、素因数分解の問題ならば、やり方ではなく、素数と素因数分解の意味が大切なのです。
どうしても問題を解こうとすると、意味や理由が解らなくても正解ならばOKと考えてしまうかもしれませんが、本当に勉強ができるようになるためには、言葉の意味、問題の意味を理解することが必須です。
そして、これは勉強だけではなく、全ての事に言えることだと思います。
2024-06-14 01:00
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自己否定のすすめ [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]
自己否定というと、何か悪いイメージがあるかもしれませんが、自分をレベルアップするためには必要なことなのです。
全然変われない人や、頑張っているのに上手くいかない人は、「上手くいかないやり方を継続」していることが原因の可能性が高いのです。
だからこそ、今やっているやり方、考え方をやめて、全く新しいやり方に切り替えることが必要になるのです。
でもなかなか切り替えられないのは当然です。
それは、今のやり方でも「上手くいく時がある」からです。
上手くいった経験が邪魔をして、やり方を変えることが出来なくなるのです。
丸暗記の学習法もそうです。
丸暗記して「できた」と言う体験があると、次も丸暗記をしてしまうのです。
しかし、丸暗記では学力は付きません。
受験学年になるにつれて、学力が低下して、本来ピークに持っていく本番の試験の時には、すっかり抜けているということになります。
山を張る学習法も同様です。
たまたま山を張ってそこが出たからできたことを、成功ととらえて、その後の勉強は「ここは出ない」とか「ここは出そうとか」そんな勉強になります。
本来は試験範囲全てを、出来るようにすることが大切なはずです。
勉強でだけではありません。
仕事でもたまたま上手くいったという経験や、ギャンブルでもたまたま儲かったという経験が、心に残り自分を変える邪魔をしていると思うのです。
全然変われない人や、頑張っているのに上手くいかない人は、「上手くいかないやり方を継続」していることが原因の可能性が高いのです。
だからこそ、今やっているやり方、考え方をやめて、全く新しいやり方に切り替えることが必要になるのです。
でもなかなか切り替えられないのは当然です。
それは、今のやり方でも「上手くいく時がある」からです。
上手くいった経験が邪魔をして、やり方を変えることが出来なくなるのです。
丸暗記の学習法もそうです。
丸暗記して「できた」と言う体験があると、次も丸暗記をしてしまうのです。
しかし、丸暗記では学力は付きません。
受験学年になるにつれて、学力が低下して、本来ピークに持っていく本番の試験の時には、すっかり抜けているということになります。
山を張る学習法も同様です。
たまたま山を張ってそこが出たからできたことを、成功ととらえて、その後の勉強は「ここは出ない」とか「ここは出そうとか」そんな勉強になります。
本来は試験範囲全てを、出来るようにすることが大切なはずです。
勉強でだけではありません。
仕事でもたまたま上手くいったという経験や、ギャンブルでもたまたま儲かったという経験が、心に残り自分を変える邪魔をしていると思うのです。
2024-06-07 01:00
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