SSブログ

なぜ親は習い事をさせるのか [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 習い事が多い子が増えているような気がします。

 中高生で部活動なども含めて、放課後の時間が無いのなら解るのですが、小学生で殆ど空きが無い子がいるのには驚きです。

 スポーツのクラブチームに通っていてほぼ毎日、練習が有り、その隙間に勉強をしたいから塾に通い、それで空いている時間が無くなるのなら理解できます。

 しかし、学校から帰ってきてから、空いている日に習い事を当込んでいき、ほとんど埋まってしまうのはいかがなものかと思います。


 月曜日:書道とピアノ、火曜日:塾とダンス、水曜日:スイミングとそろばん、木曜日:ピアノ、金曜日:塾、土曜日:英会話と剣道と塾

 「まだ、空いている」と別の習い事を入れていくと、いつの間にか隙がないほどに習い事で一杯になります。

 本人は楽しんでいるのでしょうか?

 本当に役に立っているのでしょうか?

 他にやるべきことは無いのでしょうか?

 習い事より大切なものは無いのでしょうか?

 習い事の目的は何でしょうか?


 人はすべての事から学ぶことができます。

 習い事以外の事から多くの事を学ぶことができます。

 教わっていては自ら学べない人間になります。

 全ての事から学べる人間、自ら学べる人間に子供がなれば、習い事に行かせる必要はなく、しかももっと多くのことを学べるのではないかと思うのです。

 とは言え、その道のプロから基礎基本を習得することは大切です。

 習い事の目的を考え、本人に合った本当に必要な事を習わせてあげたいものです。


コメント(0) 

絶対にできる! 「できない」や「無理」を捨ててしまえ [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 仕事でも勉強でも、やるかやらないかの判断基準は何ですか?

 やろうとした事を「無理だよ」、「できるわけがない」と否定され、「それはやらない酆が良い」と反対さ、それでも実行してうまくいった経験がある人もいると思います。

 むしろ、無理と言われた事の方がうまくいくことが有ります。

 今、社会で起きていることは10年前には無理だった事ばかりです。

 従って、“やるやらない”の判断基準は、“できるできない”ではないのです。

 やった方が良いのかどうかが大切であり、できるかどうかは別物です。

 やった方が良いのなら、何としてでも成し遂げるのです。

 「できない」、「無理」とは絶対に考える必要は有りません。

 だって、絶対に「できる」のですから。

 強い意志を持ち、強い氣持で事に当たれば必ず実現するのです。


 しかし、東大に合格したいと言っても、合格したい人全員が合格できることは有りません。

 だから、志をもつのです。

 建築士の道かインテリアデザイナーか迷っている塾生がいました。

 「建築士にどうしてなりたいの」、「インテリアデザイナーになりたいのはどうして」と考えさせていくと、たどり着いた答えは、どちらも同じになりました。

 「人を幸せにしたいから」

 どちらでもそれは叶うので、「建築士でもインテリアデザイナーでも、自分の得意な好きな酆を選べばいいよ」となりました。

 強気気持ちが有れば選んだことが実現可能であり、どちらにもならないとしても、「人を幸せにできる」生き方は絶対にできるのです。


 強い氣持ちになれるのは、やろうとしていることが善か悪かであり、自分の名声や金銭欲で無い場合かなとも思います。


 「できない」とか、「無理」と言っていると、何もできませんし叶いません。

 自分の人生を豊かにするためには、「できない」と「無理」を捨ててしまいましょう。

 自分がやりたいこと、やるべき使命は絶対に「できる」のです。


コメント(0) 

リーダーの資格 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 リーダーは強い者です。

 会社であれば上司や社長、学校であれば先生、そして校長先生です。


 プロ野球であればコーチや監督が該当します。

 何度かこんな話を聞いたことがあります。

 プロ野球でピンチを迎えたピッチャーに、監督が「打たれたら俺が責任を取るから、思いっきり投げろ」と言う話です。


 会社でも部下が失敗したら上司の責任となるでしょう。

 我々学習塾でもスタッフや講師の不手際は塾長の責任です。

 
 いぶき学院の自慢は先生達です。

 でも、失敗はしますし問題も起こします。

 悪気はなく、一生懸命にやったことでの失敗であると信じていますので、よほどのことが無い限り責任を取らせることは有りません。

 失敗が起きた原因は、私の指導が行き届いていなかったこと、私との打合せ不足(情報の共有がされていない)、私のチェックが行き届いていないことが殆どです。

 従って、私が謝罪して同じ失敗が起きないように改善点をお伝えします。


 塾生についても同様です。

 もし、塾内で塾生が他の塾生に迷惑をかけることが有るならば、それは迷惑をかけた塾生の責任ではなく、私の責任です。

 塾生を庇い私が謝罪することになります。

 塾生とは会話をして、これからを考えさせて一緒に前に進んでいきたいです。


 学校などでも色々な問題が起きていると思います。

 子供の人数が多く、先生方のご苦労はとても言葉では言い表せませんが、少なくとも学校部起きた事は学校(校長)の責任です。

 会社で起きたことの責任は会社(社長)の責任です。


 立場が上の人は、下の人を守る責務があると思います。

 強い人間は、弱い人間を守るものだと私は思っています。

 それがリーダーの最も大切な資格ではないでしょうか。


 だからこそ、リーダーは強くならねばなりません。



コメント(0) 

学力をつけるために必要なこと(3)  [★感謝と成長 「夢をあきらめない」]

 学力とは学ぶ力であり、学ぶ力がつくと継続的に勉強ができるようになり、成績や偏差値も高い水準で安定します。そして、学ぶ力がつくと人間力がついていくことになります。


 褒美は罰と同じで、親が子供を思い通りにするために行うことです。

 子供は、親から褒美(褒めることを含む)をもらいたいとか叱られたくないという、外的要因で勉強をしているだけあり、自らの“やる氣”で勉強しているのではありません。

 褒めることも一種の褒美ですから危険です。

 褒めることは「あなた(子)は私(親)の思い通りになることで褒められる」ということです。

 従って、褒めることも褒美の一種となり、褒められるという褒美をもらえないと行動できなくなってしまいます。

 では、褒めてはいけないとしたらどうすればいいのでしょうか。

 結果ではなく過程、親の気持ちではなく子供の気持ちに視点を当てることで褒める以上の効果を出すことができます。

 この方法は、結果が良くても悪くても使えます。

 結果が良い時にしか褒めることはできませんが、この方法は結果が悪くても使うことができるのです。

 「嬉しそうだね」、「悲しそうだね」、「一生懸命にやっていたね」、「頑張っていた事を私(親)は知っているよ」、「あなた(子)はこの結果についてどう思う」、「今度はどうなりたい」、「次はどうすればいいと思う」

 次のような言葉とは大違いです。

 「なんだ、この点数は」、「だから私(親)が言ったじゃない」「どうしてこんな問題ができないんだ」、「私(親)が中学生の時はこんな点数は取ったことが無かったぞ」、「頑張っても、結果が全てだ」

 勿論、兄弟と比べることは絶対に避けてください。

 続く


コメント(0)