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オンライン学習から見える、学び方 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 オンライン学習をしてきた3か月、同じクラスで同じ授業であるにも関わらず予想以上の学力の差。
 
 その理由を分析していくと、勉強が解らなくなる過程が見えてきます。それは大きな成果だと私は捉えています。そこを分析して対処していけば、将来にわたる学びのプロセスを塾生に伝えることができそうです。少し気付いたことをお話しします。

 《大切なこと》
●話を全て聞いて自分の中に落とし込む。
●表面上の解き方ややり方に着目せず、なぜこの問題を解いているのかという目的、どうしてこのような解き方をするのかという理由を明確にする。したがって、答えを出そうとしないことと、正解しても満足しないことが肝心。
●素直に言われた通りにやってみる。

 つまり、最低限考えるために必要な知識を理解して、“何のために”という目的を明確にし、そのために“どうなればいいのか”というも目標(最終形)を見出すことが最重要で、その上で言われた(マニュアル)通りやってみるということ。マニュアル通りというのは、“やらなければいけないこと”と“やってはいけないこと”を守ることです。

 ところが、誰も見ていないところで、勉強を自分の意志でやり遂げることができないのです。頑張ってもほめてくれる人がいない環境、さらにサボっていても誰からも注意を受けない環境では人間は面倒くさいこと、嫌なことから逃避したくなるのは当然かもしれません。

 だからといって、親の管理下に子を置いて、褒めたり叱ったりしても何の解決にもなりません。それで勉強をする子は、一生褒められたり叱られたりし続けないと嫌なことをやることができない人間になってしまうからです。

では、どうしたらいいのでしょうか。褒められたり叱られたりしなくても、自分自身を律することができれば自ら進んで困難に立ち向かんことができるはずです。律するためには、言われた(覚えた)ことをやるのではなく、最終形を見据えて考えてやることを身に着けることです。

 「こんな勉強は何の役に立つのか」という人がいますが、無駄な勉強は1つもありません。全てのことは1つに通ずるもので、1つのことに習熟した人は全てのことを熟してしまいます。勉強も仕事も遊びも全力で取り組む人は、先を見ることができる人間になっていき自分を律することができるのではないかと思います。

 楽な方へ逃げて今だけをごまかして生きている人は自分を律することはできません。どんなことでもどんな時でも今を精一杯生きている人とは大きな差です。

答えを出すことではなく、問題の意味を考えることの重要性を伝えていきたいです。


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オンライン学習の可能性 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 塾生が通塾開始しましたが、不安的中!

 4月8日から6月13日まで通塾を無くしオンラインでの勉強を継続してきましたが、今週から塾生の通塾再開となりました。

 やはり、オンライン学習はあくまでも予備的なもので緊急措置であると思いました。

 それは、学力差の開きが昨年までと比較して大きいと感じたからです。実際に目の前に現れた塾生の姿を見ていると、オンライン学習の難しいところがさらに見えてきました。

「宿題はちゃんとやった?」、「はいやりました」
「何か質問はある」、「特にありません」

 そんなやり取りをしながら不安がいっぱい。本当に大丈夫?

 授業で言われたとおりにやっているか、前にやったところや例題などの解説を見ないで考えているか、同じ画面には何人も人がいたとしても実際には自分だけの空間で自分を律してやれるか、誰も見ていない(自分しか知らない)ところで頑張れるかが大切。

 その如何によって大きな差が生まれ、その差は如何ともしがたい差となって未来に関わっていきます。

 それは、この新型コロナ感染拡大の中で全ての人に言えることだと思います。

 自分は緊急事態宣言中に、自分の目指すものに向けて頑張れたならOK。弱い自分に負けてしまったとしたら、今からスタートです。

 さて話を戻しますが、私はオンラインでの授業で、見えていない部分を予測して注意喚起をしたり、普段の授業よりも注意深く繰り返しポイントを確認したりしましたが、それでも、わけがわからなくなっている塾生がいます。

 授業で理解させ、その場で身に着けさせることから、オンライン学習では自分で身に着けることにシフトしたことが原因の1つであると思っています。もちろん本来ならば自学自習ができないといけないのですが、それがなかなかできないのです。

 全てのことに対して手取り足取りとなるのはまずいですが、手を差し伸べたり、背中を人押ししたりすることは必要です。

 差がついていることを一番実感しているのは塾生たちだろうと思います。やる気がないわけではありませんから、策を講じて活路を見出したいです。

 でも、オンライン学習の限界について書いてきましたが、オンライン学習でもすごく良い状況になっている塾生もたくさんいました。

 オンラインの限界も感じつつ、無限の可能性があることもわかりました。この経験を次に必ず活かしたいです。


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オンライン学習の限界Ⅲ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 オンライン学習については、私が見聞きしたところで「オンラインのほうが学習の進度が早くなる」とか、「きめ細かな指導ができる」ということがありましたが、私はそうは思えません。

 前回のブログに書きましたが、子供たちのことを「わかる」授業をするのには現在のオンライン技術では限界があるのです。

子供たちのことを「わかる」必要がないならば、授業を一方的に進めていけばいいので、早いペースで授業を進めることができます。映像授業ならば2倍速にすることもできます。わからない所だけ何度も再生してゆっくり考えればいいのです。

映像授業を見せて問題演習をさせるスタイルの学習があります。そして、解らないところがあれば、先生が質問に対して直接指導するという指導法もあります。

私の受業は、このようなスタイルではありません。
問題演習をした時にはサクサクできるように授業をしています。そのためには、子供たちの生の姿を観察することが重要になります。1つのことを色々な切り口、見方で考えさせる。具体的な例から考えさせる。子供たちの状況を見て分析して考えて指導しています。

大丈夫と判断したら問題演習をさせます。

解らない所を質問されないようにしています。正解であってもできていても、質問が無くても、まずい!と思ったら、こちらからもう一度説明をするようにしています。ですから質問が殆どない授業。質問しなくてもこちらから気が付いてあげる受業になるのです。一番怖いのは、「わかった気になる」、「できた気になる」ことです。これらはいつしか学力の伸びを止めるからです。

映像を見て、解らないところを質問する授業は、わずかな抜けができたり、「わかった気」になったりが怖いです。このスタイルは補習授業のパターンであり、解らない所を補う授業スタイルであるところが弱点です。伸びが抑えられること、必ず抜けができることになるからです。

映像授業では早く進めるかもしれませんが、問題点もあるのです。そして何よりきめ細かい指導は困難です。マンツーマンであれば状況はだいぶ異なりますが、一斉授業では難しいと感じます。人それぞれに個人差がありますから、自分に合う学習スタイルで学習することが大切です。

今回の新型コロナウィルス拡大での学校休校、大変な学習進度の格差が生まれています。また、残された2020年度の受業を早く進めしっかりと終わらせるためには、オンラインではなく先生が目のまえに生徒を置いて状況を把握しながら進めていくしかありません。

子供たちのことを理解(わかること)できる力が、指導者の力であると思います。

誰もいないところで玄人受けをする授業ができるより、色々な個性のある子が混ざっている中で、子供たちが笑顔になる授業がしたいです。



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オンライン学習の限界Ⅱ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 世の流れとして、「これから学校や学習塾に行かなくても、オンライン授業を家で受ければいい」ということがあるかもしれません。(すでに生まれている?)

 しかし、それは違っていると私は思っています。

 私がオンラインの授業を2か月間やってきて思うことですが、それは「オンライン授業には限界がある」ということです。

 もちろん、オンライン授業はこれからの社会に、必要不可欠なものであるということも解りました。ですから、いぶき学院ではオンライン授業は継続していこうと考えています。

 その上で、私は生の授業を貫きたいと思っています。

 巻き戻したりはできませんが、質の高い授業ならば巻き戻す必要はありません。巻き戻したり何度も聞いたりしないでも一発で解る授業構成と間、そして声の強弱や抑揚とテンポ、そして発問。授業の質を高めていきたいと思っています。

 それらのことができるのは、目の前に子供たちがいるからです。

 授業は生き物です。同じ授業をするにしても、受けている子供たちによって変わっていきます。同じ子でも1日1日心身ともに成長著しい年頃ですから微妙に違うのです。その日にあった出来事によって大人でも気分が違うのですから、子供ではなおさらです。それを読み取って、言葉の使い方はもちろん、授業の入り方から変えていくことが必要です。

 つまり、授業には2通りあるということなのです。先生が伝える授業と子供たちが伝える授業です。

 授業の主役は子供たちです。したがって、私は子供たちが受け取る側ではなく、先生が受け取る側であると考えています。

 授業中に私が考えていることは、「本当に理解しているのか」、「解らないのはどうしてだろう」が全てかもしれません。

 原因を探り、色々な切り口と色々な方向から授業を展開し理解を促すことになります。
原因さえわかれば、手段は無数にあります。ですから原因を探ることが肝心であり、先生の役割はそこにあると私は思います。

 子供たちが考えて自ら理解できるような授業は、教える(伝える)授業ではなく、教えない(伝えない)授業なのです。

 動画配信でも教えない授業はできるのですが、子供たちから伝わることはゼロです。一方通行では、子供たちが発信するシグナルをキャッチできません。

 その点では、双方向のLIVE配信では子供たちの様子は多少わかります。子供たちに合わせて、間を利用したり、声の出し方を工夫したり、発問により考えさせることはできるのですが、子供たちのことを把握するという点では、目の前にいるのといないとでは雲泥の差です。

 今後、技術が進歩して、まるで目の前に子供たちがいるようなリアルな映像で授業ができるようになれば、子供たちの様子もわかり、ノートの文字もその場で見られるようになるかもしれません。

 しかし、現段階でできることには限界があります。我々は現段階でできることを精一杯やるしかありません。今もそしてこれからもオンライン双方向LIVE配信が必要です。そのメリットを最大限に引き出して授業をしたいと思います。

 授業の本質は、子供たちに「わからせよう」ではなく、子供たちを「わかろう」なのです。



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