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やり切った都立高校入試 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 都立高等学校の入試が終わり、自己採点の結果報告の電話が入る。

 感想を聞くと、「悔いのない入試だった」、「やり切った」、「自分なりに頑張った」という言葉を聞くと嬉しくなる。


 入試は受験生の中で上位の成績を収めた者が合格する。入試の最中に他の人の出来具合はわからない。

 どんなに高得点を取ったとしても、他の受験生がそれを上回れば合格できない。相手があるのが受験だが、その空いてが見えないのも受験である。

 本番では目の前にある問題の答えを出すために精一杯やるだけだ。

 入試本番を迎えるまでの間、学校や学習塾でも勉強はするが、基本的に自学自習を頑張るしかない。

 受験勉強を目一杯頑張って、入試でその成果を出し切ることしか受験生にはい出来ないのだ。


 もちろん多少の運も合否を左右する。

 いつもならできている問題ができなかったり、逆にできていたりするもの。自分の苦手な単元が出題されたり、得意な単元が出題されたりするもの。

 しかし、運も実力のうちである。それらの結果の原因は全て自分の中にある。

 いぶきの塾生から、「いつもならできていた」とか「苦手なところが出てできなかった」と言う話は一切なかった。

 それだけ、入試に向けて頑張った証拠だと思う。やり切った証拠だと思う。言い訳なんかしたら、頑張った自分に失礼だ。

 「もっと勉強しておけばよかった」と誰も言わない受験だった。

 私は、塾生を誇りに思う。


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合格は未来への懸け橋! [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「合格したから勉強はしなくていい!」

 とんでもない話です。

 何のために勉強しているのかを履き違えているとしか言いようがありません。

 合格は、次のステップへ進むためのものです。

 したがって受験勉強は合格をするためのものではなく、さらなる上のレベル、次のステップへ進むためのものなのです。

 年功序列賃金制が見直されている昨今、終身雇用制も崩壊しています。

 合格したから将来が約束されているわけではありません。

 合格したから一生安心して暮らせるわけではありません。

 さらに、日々自己研鑽を重ね人として成長をしていくことは必要です。

 だから、合格したから良いという考えは危険です。

 そう考えると、合格できれば良いとあらゆる手段を講じることは如何なものかと思えてなりません。

 何度も書かせていただきましたが、私は受験前に学校を休むことに反対します。体調の問題や受験会場が遠方であることなどの理由を除き、家庭や塾で受験勉強をするために学校を休むことに反対です。身勝手な行動であり、学校の先生や友達に対して礼を欠く行為であると思います。

 私立高校受験では、単願推薦の基準に加点ポイントがある学校が多数あります。検定3級合格や準2級合格。皆勤や精勤、部活動で都大会出場などがあり、これらは頑張った成果と考えられます。しかし、加点ポイント欲しさのボランティア活動は、他人のためのボランティアが自分のためのボランティアへと目的のすり替えが起きることになります。本当に人の為と思って活動をしている人に対しても、ボランティアを受けている人に対しても失礼ではないでしょうか?

 意味の分からない受験テクニックを教え目の前の合格を目指すことは、将来どんなことの役に立つのでしょうか?

 合格そのものに意味はありますが、それを次に活かせなければ何の価値もありません。

 合格は未来のための懸け橋であり、それを渡らなければ先には進めないのです。


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答案を見せない子 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「なんでテスト(答案)を見せないの!」
 「テストが返ってきたら見せなさいと何度言わせるの!」
 「テストは親に見せるものよ!
 なんて言われたら、自分が子供だったら絶対見せたくありません。

 子がテストを見せない理由は何でしょう。

 親に見せたくないという理由だとしたら、子が親にテストを見せない原因は親にあると言わざるを得ません。

 テストを見せると、必ず叱られる。小言を言われる。昔の事を持ち出される。罰を与えられる。親の自慢話を聞かされる。

 そのようなことを言われるとしたら、子がテストを見せたくないのは当然です。

 「褒めたことはあっても叱った記憶が無いのに見せない」という方もいらっしゃると思いますが、テスト結果を褒めた場合も同様のこと(テストを見せない)が起きます。

 褒められた次のテストで結果が悪いとしたら、テストを見せたくなるでしょうか?

 良い点数を取って思いっきり褒められると、良い点数の時しか見せたくなくなりますよね。

 叱っても、褒めても子はテストを見せなくなる可能性があるのです。

 それは、叱ること(罰)も褒めること(褒美)も、親の基準で判断しているからです。

 「あなたの点数は私の満足する結果ではない」
 「あなたの点数は私の満足する結果だ」

 子は親の満足させるために頑張り、その結果が親の満足する結果でなければ、結果を見せたくなくなります。

 それでは、どうしたらよいでしょうか?

ポイントは2つ。
結果よりも過程(良くなったところ)を重視することと、子の気持ちを重視することです。

結果が悪くて一番辛いのは本人のはずです。

 気にしている結果をくどくどと言われたら辛くてなりません。

 「お父さんは前回よりも頑張っていたと思うよ。」

 「漢字が良くできているということは練習を頑張ったんだね。」

 100点のテストを持ってきた子に「嬉しそうだね。」

 30点のテストを持ってきた子に「がっかりしてしてるんだね。」

 「自分ではどう思うの。」

 「次はどうしたいと思っている。」・・・などです。

 そして「次のテストの後でまた一緒に考えよう。」とか「お前なら頑張れると思う。」などと、話し合う機会をつくったり、背中を押してあげ勇気づけたりすると、子に変化がみられるはずです。



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若者ができることは、苦しい道を進むこと [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 誰だって生きていくことは苦しいし辛いものです。

 でも、やり遂げたという満足感、人のためになったという充実感があるから夢を持つことができ、自分の努力による自信と、他の人からの勇気づけによって頑張ることができると思います。

 誰もやった事が無いことに挑戦したり、無理だと言われても頑張り続けたりすることが多くの人の幸せを創り出し、自分自身の成長に結びつくのではないでしょうか。

 それなのに、苦しいから(辛いから、いやだから、やりたくないから)といって簡単にやめてしまい、言い訳(自己正当化:できない理由をつける)ばかり考えているようではそこから何も生まれません。

 目的意識を持って今を精一杯生きること目指さず、現実から逃げて逃げて楽な方に進んでいくことは最終的に自分を苦しめることになるでしょう。

 若者ができる唯一のことは、“苦しい道を進むこと”と私は思います。迷ったら苦しい道へ進むことです。

 それが幸せへの道だと思います。


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