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宿題の意識 [★勉強・受験 「授業・勉強法・受験作戦」]

 「宿題やった?」と聞くと、「やったよ」と答える。

 ごく普通の親子のやり取りですが、宿題をやるという意識には大きな差があると感じています。

 その差は学力の差となると同時に、人生の差にもつながるのではないかと思います。

 いぶき学院では原則として毎回、宿題を出し、次の授業の際にチェックをします。

 質問があれば答え、解らなければ解説をするのですが、当たり前と言えば当たり前なのですが、上位クラスは質問が殆どありません。

 勉強ができるから質問することが無いのかもしれません。

 しかし、良く観察していると勉強が苦手な子、学力が伸びない子との大きな違いがあることに気づきます。


 成績上位、学校でトップクラスの子は、宿題で出された問題を“必ず理解しよう”としていて、少し難しい問題でも解き切ってきます。

 ところが学力が伸びない子は、宿題は“やってあればいい”とか“終わればいい”と考えているのです。

 中には、全部やっていなくても“やったように見えればいい”と少しだけ、叱られない程度にやってある子もいます。

 

 「宿題やった」という言葉には大きな差があります。

 “やってあればいい”はやることが目的となっていて、学力を付けることが目的となっていません。

 “解るようにする”ことは学力を付けることが目的となります。
全てにおいて“やっておけばいい”は、自分を伸ばすことにつながらず、自分が損をする考え方です。

 叱って勉強をさせるやり方は、叱られないために勉強をすることになり、“やってあればいい”に結びつきます。

 成績が上がったら褒美を与えるやり方は、ご褒美をもらいたいから勉強をするということになり、勉強本来の目的からずれます。褒美が無ければ勉強をしないということになるのです。


結果ではなく過程に目を向けて認める。

そして、成功したら褒めるのではなく、本人に感想を聞くことで自信につなげる。

中学生となり、少し先のことを考えられるようならば、“やってあればいい”ということは自分が損することであることを理解させることが出来ると思います。

宿題の意識の差は人生の差になっていくのです。


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